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不知火検校


■公開:1960年
■制作:大映
■監督:森一生
■助監:
■脚本:犬塚稔
■原作:宇野信夫
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:勝新太郎
■備考:「てめえら肝っ玉がちいせえから、おれがやってるようなことをやりたくても出来ねえだろう。たまに楽しむといったら祭りぐらいが関の山で、挙句の果てはジジイになりババァになり、糞小便の世話されて死ぬだけだ、この大馬鹿野郎。」(by 不知火検校)


 幼い頃、座頭の杉の市は近所の馬鹿の為吉とツルんで詐欺まがいの行為で、目あきから酒やら金をせしめてきては、飲んだくれの母親とうだつのあがらないオヤジの喧嘩を眺めていた。

 成長した杉の市・勝新太郎が弟子入りした不知火検校・荒木忍は地位と名声を得ていたが徳のない人物だった。出生が貧しいことを仲間の前で笑われた杉の市は、どんな悪辣な手段を用いてもその後釜に座ろうと決意した。

 ある日、不知火検校に使いを頼まれた杉の市は金目当てに行きずりの男を殺した。それを見ていた倉吉・須賀不二男と出会った杉の市は、彼が盗賊の一味と知り仲間になる。

 この映画をピカレスクロマンなどと救いようのある言葉で総括してはイケナイ。この映画の主人公はまぎれもなく救いようのない「人でなし」である。

 ハンディキャップに同情する奴につばを吐き、金のためなら人の命なんぞ芥子粒同然。そんなキャラクターが主役の映画を作ってはたして元が取れるのか?田宮二郎が松葉杖ついただけで大激怒したような大映社長・永田雅一がよく了承したもんだ。ま、これにも勝新太郎の熱意とかいろんなエピソードがあるのだが、結局は「非常識が社長になった男」の決断が生んだ傑作だ。

 杉の市は、貞淑な大名の女房・中村玉緒を借金のカタに犯した挙句に自害させ、その亭主・丹羽又三郎の追求を怖れて身代わりを用意して死体を遺棄、強盗仲間・安部徹伊沢一郎に師匠の家に押し込み強盗をさせて師匠を殺害、とうとう二代目に収まるのだった。

 それでもただ一つ、手に入らなかったは女(に限らず人)の情愛を得るために、妻に迎えた小町娘・近藤美恵子が指物職人・鶴見丈二と浮気したと知れば嫉妬に狂って情夫を毒殺、妻を絞殺。

 この映画のシナリオには有名なエピソードがある。

 冒頭の意味の台詞、ラストシーンに用意されていて最終的には削られたのである。

 公開された映画では、過去に犯した罪がバレてしまった杉の市が、得意の絶頂に町方に捕らえられ、己の罪を一切認めぬまま群集の罵声をあびて「馬鹿野郎」とつぶやきながら引きずられていく。

 時世ってこともあるし、あまりにも刺激的だということで、つまり、不知火検校が悪態をつく相手は、ほかならぬ市井の人達である。その人達こそが映画の観客であるわけだから、客に向かって「糞小便にまみれて死ね」はいくらなんでも駄目だってことだろう。

 こんな台詞を考えた方も凄いが、最後の台詞を削った会社も一理ある。

 勝新太郎はこの映画で高く評価されたので、同じ脚色を得て「座頭市」が誕生する。

2001年02月25日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16