「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


鉄の爪


■公開:1951年
■制作:大映
■監督:安達伸生
■助監:
■脚本:安達伸生
■原作:中溝勝三(岡譲司・原案)
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:岡譲司
■備考:フリッツ・フォン・エリックじゃないですが。


 この映画の原案、中溝勝三は岡譲司の本名である。

 岡譲司といえば「蜘蛛男」や金田一耕助、明智小五郎、いわゆる猟奇サスペンスが筆者的にはよく目立つ。特に本作品では自身、度重なる出征の体験が生々しい。

 戦死したと思われていた男・岡譲司が実は生きていて、女房に会いに来るのだが彼女 はすでに他の旦那と暮らしていた。男は黙って身を引いて教会で働きそれなりに平穏 な日々を送っている。しかし、彼は、戦時中のある出来事により大きな音や酒のよう な強い刺激を受けると野獣に変身してしまうのだった。  

 ゴリラが殺人を犯すというのは「モルグ街の殺人」、マッドサイエンティストの薬を飲んで変身するのは「ジキルとハイド」、半裸の美女、見世物小屋、戦争体験、パッとしない警察、そして怪物の心をゲットする薄幸の美女。西洋のエッセンスを取り入れ、ジャパニーズスリラーに必要な要素は全部出揃った、という感じの本作品である。

 南方でゴリラと格闘になりその血が体内に入ったと思い込んだ主人公は発狂してしまい内地に送り返されるが、収容先の精神病院を脱走。酒におぼれ、悪い科学者に騙されてヘンな薬を飲まされた挙句にゴリラのカブリモノまでさせられて見世物にされる。

 しかし、口では諦めたと言うが、ゴリラになりきった凶暴な力で、忘れられない恋女房に近づく男を片っ端から叩き殺してしまうのだった。そしてついに訪れるクライマックス。

 フロアダンサーの妻を小脇に抱えて、ゴリラに変身した男は警察を振り切って逃走するが、教会の鐘の音にふと我に返り、一人、命を絶つのである。

 悲しい話である。

 主人公を救おうとした医者・二本柳寛の目をかいくぐり、酒で誘って見世物にした悪の科学者・斎藤達雄の薬でみるみるうちにゴリラ顔になるところはさすがに時代を感じさせるが岡譲司のケレン味溢れすぎの芝居のほうが、特殊メイクよりも迫力満点。

 好きだったのかなあ、岡譲司、こういうの。二枚目なんだけどなあ。

 この映画はオーバーラップの使い方が上手い。ダンサー仲間が主人公を回想するときにも若いダンサーの屈託のない姿に、主人公の切ない後姿を重ねて見せたりしてなかなか味わい深いものがあった。

 ラスト、死んだゴリラの肉体から主人公の魂が人の姿に帰って一人、教会の鐘楼に消えていくところも今見れば垢抜けないが、この、気の毒極まりない男がやっと過去のトラウマから開放された姿を見せて、見るほうの気持ちを救っている。

 ところで、なぜ、ゴリラ?

 オランウータンや原猿ならまだわかるが、ゴリラが東南アジアにいたのかどうか?ひょっとしたらその時点ですでに主人公の頭はキレちゃってたのかもしれない。はじめからゴリラになんか襲われてはいなかったのではないか?相手は人間だったのかもしれない。ひょっとしたら戦友を敵と間違って、、、その記憶を無くそうとして、アレはゴリラだったと思い込んだ挙句の発狂だったのかも。

 ま、映画を見ながら色々と想像力を逞しくするのもまた楽しいものである。

2001年01月29日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16