「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


王者の剣 山田長政


■公開:1959年
■制作:大映
■監督:加戸敏
■助監:
■脚本:小国英雄
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:長谷川一夫
■備考:雷蔵、パシる!


 長谷川一夫が人間国宝になれなかったところに日本映画の不幸があるような気がする。

 シャム国に渡り国王・千田是也の信任を得て、貴族の称号を与えられた山田長政・長谷川一夫は、古参の将軍・羅門光三郎から妬まれる。日本人街でもヒーローになった長政は、長老の娘・若尾文子から惚れられるが、シャム国の人間になりきるため国王の姪、ナリニー姫・中田康子と結婚した。

 王が死ぬと、まだ幼い皇子・太田博之が王位についたが、長政の存在を快く思わない大臣たちは、やがて国民からの反感がピークに達したら王様の命が危ないからと、若い将校・市川雷蔵に毒酒を持たせて長政を暗殺させる。長政はナリニー王女との間に生まれた子供を、日本からやって来た武士、左京・田崎潤に託して死んだ。

 日本人による赤毛モノ映画には古くは「阿片戦争」というオール日本人による作品があるが、なんともその貧乏臭さは特筆モノだったので、見る前から悪い予感があったがアテとフンドシは手前から外れるの諺のとおり、タイ国の映画会社と共同制作した本作品を観たら「日本映画は貧乏臭くて」とは口が裂けても言えなかった。

 ワイドスクリーンを埋め尽くすエキストラと本物の象を大量動員した戦争シーンは大迫力、というか金かかってんなっ!と有無を言わさぬ豪勢さにビックリ。巨像にまたがって悠然と進む長谷川一夫はまるで、ハリウッド史上最大のバブリー映画「クレオパトラ」のエリザベス・テイラーを彷彿させる。

 が、そんな夢のような感動を得たのは象と無名のエキストラたちの量に対してのみであって、そのほかはやはり「貧乏」だった。

 長谷川一夫の相手役は、健全なお色気が身上の東宝女優の中ではそのエロさで他を圧倒していたが故にロクな役が回ってこなかった中田康子。およそ、なんらかの裏工作がなされなければ長谷川一夫との共演なんぞ三千年経っても実現しないだろう彼女は、その、生来のお色気でこの役を射止めたガンバリ屋さん。それを演技でも発揮してくれたらヨカッタんだけど所詮、地金が丸出し。やんごとなきお姫様というよりは貢がせ上手なキャバクラのねーちゃん以外には到底見えん。あ、水商売出身のデ○夫人ってのもいたな、なら本物っぽいって言えるのか?

 そんな御大の前では市川雷蔵も生来の優男ぶりをかなぐりすて、小林勝彦あたりがよっぽどハマルんじゃないかというくらいの男くさい役どころであるが、正直な話、全然似合わないぞ。カッコイイのは声ぐらいなもんで、なにせか細い下半身が南国仕様の衣装にミスマッチ。雷蔵ファンな筆者としてはちょっとツライな。やっぱ時代劇でナンボだね、雷蔵は。

 山田長政の旧友の侍役で根上淳が出ているのだが、この人の場合は雷蔵とは正反対でまるっきり非チョンマゲ顔だ。てなわけで、この映画に出てくるのは片っ端から似合わねー!と叫びたくなるキャスティングなのだ。

 そしていよいよ毒酒をあおる、長谷川御大の最大の見せ場が来るのであるが、いや、それがもう引っ張ること引っ張ること。即効性の毒薬のはずなのに御大、なかなか死なない。どころか、普通は喉(胸)とかみぞおちあたりだと思うんだけど、御大が苦しんで押さえているのは大腸のあたり。

 御大、下痢?

 なんてことはないのだが、遺言は手短なほうが感動は濃い。それがまあ己が人生の回想から王様の将来までこれでもかと語りまくって後、絶命するので感動が薄い、薄い。

 こういうなんにでも全力なサーヴィス精神が長谷川一夫の素晴らしいところなのだけれど、娯楽映画に出つづけて客を喜ばしたことがスノービッシュな階層から批判されて結局「人間国宝」になれなかったんだとしたら、こんな馬鹿馬鹿しいことってないよね。

2001年01月19日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16