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手討


■公開:1963年
■制作:大映
■監督:田中徳三
■助監:
■脚本:八尋不二
■原作:岡本綺堂
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:市川雷蔵
■備考:もう一つの番長皿屋敷。


 岡本綺堂はホラー作家であるから、数多ある「番町皿屋敷」映画のほとんど全部は井戸に投げ込まれたお菊さんをいかにオッカなく演出するかに趣向が凝らされている。

 ところが本作品には幽霊が出てこない。「四谷怪談」に実在のお岩さんがちゃんといるように、これは「実録・番町皿屋敷」とでも言えようか。

 徳川幕府も安定期に入ると、旗本たちはその存在意義が薄らぎフラストレーションがたまっていた。まして豊臣家全滅作戦の生き残りである外様大名、加賀百万石の前田家、薩摩の島津家、陸奥の伊達家らの発言力が大きくなることはかつてリアルに敵同士だった旗本には許しがたいところ。

 前田加賀守・名和宏が能を献上中に大あくびをした旗本、源次郎・若山富三郎が、島津薩摩守・荒木忍の抗議によって切腹させられた事件をきっかけに、旗本の若手たちは白柄組という愚連隊を組織。そのリーダー格に祭り上げられたのが人格温厚な青山播磨・市川雷蔵

 播磨は豆腐屋の娘で腰元のお菊・藤由紀子を愛していて将来は家督を捨てても結婚したいと思っていたので叔母・細川ちか子が持ってくる縁談を片っ端から断る。

 ある日、白柄組が前田家の行列に馬で乱入したため、カンカンに怒った前田加賀守、島津薩摩守、伊達陸奥守・南条新太郎から白柄組全員の身柄引渡しを強要された、老中、松平伊豆守・柳永二郎は、前田家の遠縁の姫・松浦いづみと結婚するように、叔母を通じて依頼してきた。

 これを聞いたお菊は、さすがに今度は断れないと思い、青山家の家宝の皿を叩き割って家と自分とどっちをチョイスするか播磨を試そうと考えた。見合いをぶッちぎった播磨はお菊の不実を責めず、家を捨てる覚悟を表明するために残りの皿を全部壊した。

 自分を許せなかったお菊はこの後、播磨に手討ちをしてくれるよう懇願、播磨は桜吹雪の下でお菊を斬る。白柄組の面子の救済を交換条件に、播磨はお菊の亡骸に白無垢の花嫁衣裳を着せて別れを告げ切腹した。

 世の中が東映のバイオレンス映画よりも荒んで、かつ、東映のピンク映画よりもふしだらになった現在、魂が洗われるような映画だね。比較するのもどうかと思うが。

 藤由紀子がお皿数えると思って期待した客には不満タラタラかもしれんが、主演が市川雷蔵なんだから期待したほうが悪い。

 旗本の冷飯連中の暴走というのは今時の荒れる十代になんとなく通じるものがあって面白い。努力もしないし実力もないくせにプライドだけは高いサルがカラダをもてあますとロクなことをしないというのは普遍的事実ってことね。

 お菊の藤由紀子の近代的な顔立ちも相まって、映画のセンスはかなり現代的でまるで風俗映画のノリ。殿様とラブラブなのを同僚の腰元たちがピーチクパーチクやるのも下世話で共感できるところだ。

 暴走機関車・若山富三郎先生は、このような大甘メロドラマでもアイデンティティーを失わない。いや、むしろ声高に主張する(結果的に)。前田家、というよりも名和宏にあてつけるために江戸屋敷の門前にお立ち台をしつらえて切腹パフォーマンスをやらかすのだ。うーむ、この因縁が「博奕打ち・総長賭博」まで尾を引いていたのか、と、わけのわからない説得力を感じて大笑い、ヤな客だね、どうも。

 名和宏の能は本物。この映画で実物が踊っていたかどうかはわかんないけど実家は能楽系だそうだ。

2001年01月14日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16