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白痴


■公開:1951年
■制作:松竹
■監督:黒澤明
■助監:
■脚本:黒澤明、久板栄二郎
■原作:ドストエフスキー
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:森雅之
■備考:


 絶品、森雅之。

 青函連絡船の中で突如、発作を起こした亀田・森雅之は、隣で寝ていた赤間・三船敏郎に、自分は沖縄で戦犯として銃殺される直前に助かったという身の上話を始めた。彼はショックで癲癇性の白痴になったので時々変なのだ、とも話した。亀田があまりにも無防備で純粋なので、赤間は彼と仲良くなった。

 二人は札幌へ向かう途中で、風采の上がらない軽部・左卜全と偶然知り合う。赤間は牧場主の息子であったが、政治家の東畑・柳永二郎に囲われていた美しい女、妙子・原節子に、親の金を持ち出してダイヤの指輪を贈って勘当されていた。その親が死んだので赤間には莫大な遺産が転がり込んだのだ。

 亀田は札幌に住む知り合いの大野・志村喬を訪ねて、香山・千秋実という男の家に下宿するように世話をしてもらう。大野の次女、綾子・久我美子も亀田の綺麗な心に惹かれたが、反発してみたくもあり、わざと意地悪してみる、が、亀田は綾子を優しく見つめるだけだった。

 香山は持参金目当てで妙子と結婚するはずだった。香山は綾子に惚れていた。香山の家に来た妙子の顔を見た亀田は、銃殺された同僚の兵隊の面影を見て涙を流した。そこへ妙子を追って赤間が現れた。

 妙子の誕生パーティーに乗り込んだ赤間は、軽部に工面させた多額の持参金を香山に渡して妙子を譲らせようとする。妙子は金を暖炉に放り込んだ。妙子は亀田の幸せを願い赤間とともに去ったが、亀田は妙子の危うさを見捨てられず彼女を追った。

 綾子は亀田としばしば会った。喜怒哀楽の激しい綾子は、亀田の心が妙子のほうに向いているのがわかると怒り出した。しかし亀田は妙子のことが好きだと手紙に書いた。赤間は、妙子が亀田を好きだと思い、夜道に亀田を追い詰めて癲癇の発作を起こさせた。

 ある日、赤間から呼び出された亀田は、妙子の刺殺死体を目撃する。明け方になり赤間の精神も異常を来たし、二人はともに精神病院で一生を送ることになった。

 時間が映画を浄化させるということを実感します。完成より長い年月を経て、現在の観客にとっては何一つ生臭さが残らない、外国の映画と思われるのではないでしょうか。

 森雅之も三船敏郎も原節子も久我美子もまるっきりヨーロッパ映画に出てくる俳優のようです。

 猛獣のような赤間、絶望に満ちた妙子、感受性の強い綾子、彼と彼女らは亀田によって癒されるわけですが、亀田はそれらすべてを無条件に引き受けて破壊されます。

 赤間に「生まれたての子羊のようだ」と評される亀田役の森雅之は、この役を他の誰が演ってもダメなんじゃないか?と思うほどのハマリを感じます。宝石のような清らかな心をもった狂人、んなものは空想動物みたいなモンですが、この映画では森雅之の造型があまりにも素晴らしいので、嘘っぽさなんかどっかへ飛んでしまい、吸い寄せられるように見つめてしまいます。魅入られる、というのを本当に実感させてもらいました。

 同様に「羅生門」でも森雅之とタッグを組んだ三船敏郎ですが、この、亀田とは異なる意味での純粋さをもった赤間。大芝居でありながらも観るものの想像の産物たる役どころを最高にビジュアル化してくれたと思います。

 どんなに深刻な映画でもユーモアを欠かさない作り手は、俗物の志村喬の気の強い妻・東山千栄子にその役どころを与えました。たぶん、この奥さんの台詞を全部暗記したら、相当の口喧嘩にも楽勝できるでしょう。

 逸話として残っている大幅カットですが、筆者が観たバージョンはその最たるものらしく、イキナリ左卜全が代理人になってしまうくだりや、クライマックスへ突入するまでがいかにも飛び飛びな印象なのが悔しいところです。

2000年11月19日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-06