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修羅


■公開:1971年
■制作:ATG、松本プロ
■監督:松本俊夫
■助監:
■脚本:松本俊夫
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:中村嘉葎雄
■備考:

ネタばれしてます!


 貧乏浪人の源吾兵衛・中村嘉葎雄は、藩の御用金を紛失した責任を問われて、主君の仇討ちに参加することを拒否されていた。源吾兵衛の実家の元使用人の中には主人を忠臣とすべく、御用金の工面に田畑を売り払う者もいた。

 源吾兵衛には、小万・三条泰子という芸者の妾がいる。彼女のために家財道具を売り払った源吾兵衛は、金を調達して戻った忠僕、八右衛門・今福正雄から諫言をされるが、これは敵を欺く策だと言い訳する。

 そこへ小万の付き人、三五郎・唐十郎が現れ、小万がいけすかないヤツに身請けされるから助けて欲しいと言う。源吾兵衛は、八右衛門が持ち帰った百両を、小者・江波多寛児(現・江幡高志)、天野新士山谷初男らに渡してしまう。借金を返済した源吾兵衛は小万を連れて帰ろうとしたが、彼女にはれっきとした亭主がいた。三五郎だった。

 源吾右衛門への愛を誓った「五大力」という小万の入れ墨は「三五大切」と加筆訂正されていた。まんまと騙された源吾兵衛。しかし実は、三五郎は武士の子息。さる藩の重役、船倉宗右衛門に仕えていた実家が藩の取り潰しで没落、しかし実父・松本克平は、かつての主人が紛失した百両をなんとか工面したいと、勘当中の三五郎に依頼したのだった。

 小万に裏切られたと知った源吾兵衛は、三五郎らの寝込みを襲い、仲間を切り捨てたが、小万と三五郎は逃亡。源吾兵衛は、二人が隠れて住んでいた四谷の長屋に毒酒を届けた。しかし死んだのは長屋の差配で小万の兄・田村保。最中、二人が住んでいた長屋の床下から、さる屋敷の絵図面が発見される。

 主人の仇討ちに役立つと思った三五郎は、絵図面と百両を実父に届ける。その間に罪の意識に苛まれて長屋へ戻ってきた源吾兵衛は、小万と乳飲み子を惨殺した。

 切り落とした小万の首を前にして酒を飲んでいた源吾兵衛の前に、百両と絵図面が差し出された。三五郎の実父が仕えていたのは、源吾兵衛だったのだ。源吾兵衛の本名は船倉宗右衛門。それを聞いた三五郎は身を潜めていた樽の中で自害して果てた。

 最後まで、源吾兵衛の正体を隠しておくのは無理だと思ったのでしょう。早々に八右衛門の口から、船倉宗右衛門であることは観客に知らされます。ゆえに、観客は、三五郎と小万がどこでそれに気付き、どうするのか?というところに注目します。

 原作の「盟三五大切」は、「仮名手本忠臣蔵」と「四谷怪談」のパロディーのようなもので、源吾兵衛の正体は不破数右衛門です。こちらは無事に仇討ちに参加するのですが、本作品「修羅」では、船倉宗右衛門は仇討ちには参加しません。

 またこれも原作を知っていると分かるのですが、小万の兄貴が実は御用金の百両を盗んだ張本人なのです。小万と三五郎の長屋はかつて、お岩と伊右衛門が住んでいたところでもあったのです。

 なんという業の深い、遠大な不条理劇でしょうか。

 結果的に、痴情怨恨で人を殺しまくった原作の不破数右衛門が義士の誉れに包まれる影で、実は主人のために必死で金を作り、知らなかったとは言え主人をカモった責任を感じて死んでしまう三五郎。この対照的、かつ不条理さが、この映画では三五郎を下世話な人物に替えて、かつ、小万にほれ込んだ故の自殺、いわば心中をさせることで純情一途なキャラクターとして味を残させ、宗右衛門には名誉を与えませんでした。

 松本監督はドキュメンタリーの出身。従って、刀で人が斬られたときの、その流血の凄さ。毒殺される被害者の断末魔は帝銀事件を彷彿とさせます。モンタージュを多様して、変化に富んだ画面作りも、凝縮されたモノクローム画面では一層に不安感をあおってドラマを盛り上げます。

 凶暴な源吾兵衛を追い詰めた役人・観世栄夫が、妙に腰が引けていて、三五郎とコミカルな掛け合いを演じますが、このあたりの、国家権力をコケにする風潮はやはり70年安保の影響色濃い学生運動出身の松本監督のコダワリでしょうか。浮いてましたが、笑えました。

2000年10月22日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-04