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五条霊戦記


■公開:2000年
■制作:サンセントシネマ
■監督:石井聰亙
■助監:
■脚本:石井聰亙、中島吾郎
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:浅野忠信
■備考:

ネタばれしてます!


 平安時代。未だ遮那王と呼ばれていた源義経・浅野忠信は、京の都に夜な夜な出没し、平家の武者を惨殺していた。平家の人々から「鬼」と呼ばれた遮那王はその従者、影武者の芥子丸・細山田隆人、剛人・成田浬とともに山奥で、霊力を操る修行を積む。

 かつては血も涙もない盗賊の頭領だった弁慶・隆大介は、ある日、うっかり童子を殺してしまった罪の意識から命を絶とうとしていたところを徳の高い阿闍梨・勅使河原三郎に諭され仏門に帰依していた。弁慶は不動明王のお告げを受けて「鬼退治」のため京都へ。

  五条大橋で刀鍛冶、鉄吉・永瀬正敏に出会った弁慶は、五条大橋の向こう側に遮那王の姿を求めた。平家の軍勢とともに遮那王に出会った弁慶は戦わずに分かれた。

 平家を脅かす「鬼」を退治するために、僧侶・國村隼の薦めで弁慶を利用しようと考えた平忠則・岸部一徳は、弁慶のライヴァル、湛塊・船木誠勝と弁慶を囮にして「鬼」をおびき出そうとするが突如現れた三匹の鬼の手によって全滅した。ただ一人、弁慶は阿闍梨から再度修行をするよう命じられ旅に出る。

 平家の恐怖政治は、下層の人々を虫けらのように扱うようになり、鉄吉の仲間もみな殺されてしまう。遮那王は神仏への信心では民衆を救えないことに絶望し、阿闍梨を斬った。

 弁慶は鉄吉に再会し、再び剣を鍛えさせた。五条橋でついに遮那王と対決した弁慶。二人の姿は猛火の中に消えた。

 権力争いの犠牲になった弁慶と遮那王は、立場は正反対でも、お互いの怒りと絶望を「鬼」という異形に転化して闘います。しかし、その方便として、人々を救う仏をも「惨殺」するのはちょっといただけない感じです。

 こういうセンスってどーだかなあ?と考えてしまいます。ジャジャーンと終わりたいんですよ、ソレがない。一応出たことは出たんだけど残余感が残るキレの悪いウ○コ、みたいな。

 カタルシスが無いんです。スカッとしたいー!もっとー!

 モウ一つダメだったのは弁慶役の隆大介の胸板の薄さと、カトンボみたいな二の腕の細さ。あーもー、ステロイドでもなんでもアレしてほしい(ファンの皆様すいません)。じゃなきゃ衣装で隠して見せるなっ!と申し上げたいんです。傍に船木誠勝がいたのでよけいに、隆大介の貧弱さが目立つんです。師匠直伝の顔演技は良かったんですけどね。

 逆に、優男なはずの遮那王の白装束の袖から垣間見える腕の剛毛にはビックリ、でしたけど。

 そういうところばかり観ている筆者も難?。

 つまり、CGだの操演だのという仕掛けも楽しくていいけど、映画の生身の部分のビジュアルにももっと気を配ってほしいわけです。

 で、これと反対に生身のエフェクトが凄かったのが、五条橋で乞食していたジーさん。パンフ観ないであれが内藤武敏だと分かった人は凄いです。

 人気者をズラリ揃えて、エンタテイメントは上手いし、絵も綺麗。ただ、活劇映画に対して、筆者が求めていたドキドキ、ワクワク、はこの映画にはありませんでした。

2000年11月03日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-02