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ポルノ時代劇 忘八武士道


■公開:1973年
■制作:東映
■監督:石井輝男
■助監:
■脚本:佐治乾
■原作:小池一雄
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:丹波哲郎
■備考:


  副題が「ポルノ時代劇」それだけでもう満足。  凶状持ちの浪人、明日死能・丹波哲郎は役人に取り囲まれて川へ身を投げたところを、忘八もんと呼ばれる吉原遊郭を仕切る連中に助けられる。

 彼等の総元締め、大門・遠藤辰雄は明日死能に、吉原の外で売春を生業としている茶屋やよたかを斬るように依頼、死能は言われるままにバッタバッタと斬り殺すが、取締り中の役人・深江章喜まで殺してしまったため、幕府と本格的に対決するハメに。

 大門からたんまり上納金をもらっている老中は密かに忍者を差し向けて明日死能を殺そうとするが忘八もんのお紋・ひし美ゆり子をはじめとする女たちが体を張って護衛した。

 吉原と門外との対立がピークに達した頃、老中はついに大門と和解したが、その条件は幕府の面目を潰した明日死能を殺すこと。阿片入りの酒でラリった明日死能は大門も中毒にして梅毒病みの女を抱かせた。大門の部下、袈裟蔵・伊吹吾郎は死能が吉原を出て行けば手出しをしないと約束、大門の跡目を継いだ。

 門外に押し寄せる役人たちを前にして幻覚症状におちいらないよう自分の体に斬りつけながら明日死能は狂ったように役人たちを惨殺していった。

 人間にとって八つの徳「孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥」を忘れた者を忘八もん、と呼ぶそうだ。こんなん、筆者なんかとっくに忘八もんだぜ!

 イキナリ長髪の丹波哲郎にも大笑いだが、とにかく出てくる女が次々と真っ裸なんである。ここまで当然のようにスッポンポンだと、まるでヌーディストビーチだ!というような明るいキャッチコピーの一つでもつけたくなるが話の内容は陰陰滅滅。

 とにかく人殺しをしすぎてくたびれたから死にたい、死にたいっていうお先真っ暗な人物が主人公なんである。ニヒルなキャラクターだからろくすっぽ台詞を入れなくてイイわけで、じっとしてるだけで全裸または半裸のおねーさんたちがスリスリしてくれるという、なんだかスゲー楽チンな丹波さん。

 しかしこの映画はSFだ。

 幕府の忍者が油撒いて丹波さんを焼き殺しに来るんだけど、その猛火の上を体でゴロゴロして火を消しに行くおねーさんたち!ホラ、あの、タバコの火を体で消そうとする犬いたじゃん?アレよアレ。

 目の下にパープルのクマを画いて存分に大暴れの遠藤辰雄、特殊メイクやCGなんか使わなくてもここまでSFなキャラは素晴らしいの一言だ。けど、伊吹吾郎にアイシャドーはいらない、あそこまで濃い顔にさらなるメイクはまるで宝塚の男役状態、これもまたSFといわずしてなんと言おう?

 それと肝心なのはチャンバラだ。斬られたら普通どうなる?斬られたパーツは引力でもって落下するだろ?ところがこの映画は違うぜ、横に飛ぶんだよ、水平に、どこまでも!吊ってンだぞ!ミニアチュアの飛行機だけじゃナインだよ、ピアノ線が活躍するのは。

 素股のオネーサンにフランケンシュタイナーかけられる忍者の内田良平もとんでもないが、ガラス板の上にねそべった丹波哲郎のセミヌードも凄い!

 馬鹿映画というのはくだらない、とるにたらない映画を誉めそやすサヨクとヲタクが好む映画を指すのではない、本当は観客サーヴィスに作り手と演じ手が全力で燃える夢のような映画のことを言うべきなのだ。捨て身の作り手とソレを受け止める観客がいてこその馬鹿映画である。そうこの映画がソレだ。よく覚えておくように。

 ちなみに本作品で濃い顔をさらに濃厚にしたメイクで活躍した伊吹吾郎が続編で主役を張った。

2000年09月09日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-01