「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


忠直卿行状記


■公開:1960年
■制作:大映
■監督:森 一生
■助監:
■脚本:八尋不二
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:市川雷蔵
■備考:指導者の孤独が生んだ悲劇。


 同様のテーマで、石井輝男が「徳川女系図」というのがあるが、やっぱこういうキワモノ映画に雷蔵ってどうよ?という感じだ。やることとキャラクターのミスマッチ加減では吉田輝雄の圧勝(って何が?)と見た。

 松平忠直・市川雷蔵は豊臣家との戦で多大な功績をあげ、徳川家康・中村鴈治郎から祝福を得て意気揚揚と凱旋帰国。

 家臣たちも主君の武功を大いに褒めちぎる。気をよくした忠直は、槍試合を催す。忠直と対決するのは藩随一の槍の使い手、大島・千葉敏郎と小野田・須賀不二男。周囲の下馬評を覆して忠直は二人に圧勝する。

 その夜、ふとしたことから大島と小野田がわざと勝利を譲ったとナイショ話をしているところに居合わせてしまった忠直は、今まで自分に向けられた賞賛はすべて偽りではないかと疑い始める。

 たかが上司に花を持たせたくらいでここまで思いつめるのもどうかと思うが、忠直は二人に本物の槍で再試合を申し込む。ここでも二人はあきらかに忠直を勝たせた。激昂した忠直が問い詰める前に大島と小野田は切腹してしまった。

 常識的には「命がけで上司の名誉を守った部下」というところだがトコトン人間不信に陥った忠直には、そこまでして嘘つくなんて許せない!ということになり、碁の勝負で自分が勝てば相手を責めて詰め腹を切らせ、少しでも自分にへつらう態度を見せた家臣を片っ端から手討ちにする等の乱行三昧の日々を送るようになる。

 忠直乱心の噂は江戸に及び、評定所では詮議が行われる。忠直とは幼馴染の忠義な家来、浅水・小林勝彦が江戸へ陳情しに行ったが、忠直の存在を快く思っていない幕閣から派遣された側用人、小山田・稲葉義男が忠直に「浅水は裏切り者だよ〜ん」と囁いたため、怒った忠直は将軍家から配属された本多土佐・三津田健まで殺してしまった。

 浅水の妻、志律・山内敬子をモノにしようとした忠直だったが、忠直とは兄妹同然の志津は自害してでも浅水から離れたくないと訴えた。帰国した浅水は城に幽閉された志津を助けるため忠直を殺そうとする。忠直は生まれて初めて、権力に服従しない、本音で自分に立ち向かってくれた浅水を見てすっかり感動し、志津を返した。

 しかし幕府は忠直の流刑を決定、上使に忠直の生母を派遣して説得にあたらせた。一国一城の主として生きるよりも平民でも自由な生活をしたいという忠直は、穏やかな表情で護送されて行った。

 最高権力者というのは自身の人格とは別の存在になってしまうので、忠直は自分の思惑と次第にかけはなれてしまった「地位」というものに耐え切れなかったわけだ。

 しかし周囲の人間から見ればこんな指導者はとっても迷惑。それは護送される籠の中で何か吹っ切れた忠直に対して向けられる市井の人々のクールな視線が痛烈に物語っている。市井の人間というのもこれまた卑しいので自分たちに都合の良い指導者には喝采を送るが、そうでない場合はただの厄介モノ扱いだ。最高権力者にはプライベートは不要、それに耐えられない奴なんて失格さ!ということだね。

 実在の忠直には色狂いの挙句にスプラッターな趣味もあって妊婦の腹を裂いたというまるで石井輝男監督の「元禄女系図」のようなトンでもないことまでしたという伝説まである。

 で、こういう役どころに市川雷蔵というのはいくらなんでもミスキャストだ。こういうのは菅貫太郎にまかせておけばよろしい。

 背景に、世が世なら将軍職についていたかもしれないという長年の鬱積が垣間見えるべきところだが、清廉な市川雷蔵ではとてもそこまで屈折しきれなかったように思える。

 忠直が藩主という立場を受け入れられなかったのと同じような「ズレ」が忠直のキャラクターと市川雷蔵にも生じた、という見方もアリかも。もちろん、見る側の問題として、であるが。

2000年09月09日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-01