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執念の蛇


■公開:1958年
■制作:大映
■監督:三隅研次
■助監:
■脚本:土屋欣三
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:梅若正二
■備考:


 「蛇女優」と呼ばれた毛利郁子が出演し、後に伝説と化した蛇シリーズ映画。

 蛇、増量(当社比)。  大商人の伊勢屋・荒木忍には若気の至りではらませた女に手切れ金を渡して別れたと言うナカナカ豪快なエピソードがあった。後に結婚した妻との間には可愛い娘のお千代・美川純子ができたが、妻はお千代を産んですぐ死んでしまった。年寄って来た伊勢屋としてはお千代に店を継がせるために、手代の清二郎・和泉千太郎と結婚させることにした。

 ところがこの清二郎も隅に置けないタイプで、お千代の踊りの師匠、歌次・毛利郁子と関係があった。清二郎的には歌次とはとっくに別れたつもりでいたが、歌次的には今でもアツアツ。で、ここに身持ちの良くない歌次の兄・水原浩一が乗り出し、オマケに伊勢屋乗っ取りをたくらむ番頭・寺島貢も絡んできて事態は急展開。

 番頭は歌次が昔別れた女の娘にソックリだと伊勢屋に報告し、歌次もたまたま拾ったカンザシが証拠の品だったと言うツキに恵まれてまんまと伊勢屋に実の娘だと名乗って居座ることに成功。番頭からもらった毒を少しづつ伊勢屋に飲ませて、自然死にみせかけて殺害することにした歌次だったがついでに清二郎もゲットしたくなった。そうなるとジャマなのはお千代である。

 お千代には忠義な女中のおきぬ・近藤美恵子がついていたが、お千代は清二郎と逢引したかったのでおきぬと別れて、竜神堀のところへ一人でウキウキやってくる。待ち構えていたのは歌次の兄だった。

 帰りが遅いお千代を心配したおきぬは、世話になった気のいい浪人、竜之介・島田竜三と店の若い衆に協力を依頼しお千代を探すが惜しいところで見つからない。歌次の兄がお千代の首をしめて死体を川に沈めたところ、蛇の大群が襲いかかってきた。お千代がいつもお参りしていた祠の御神体は白蛇なのだった。

 伊勢屋乗っ取りと歌次を狙った番頭は歌次にそそのかされた髪結いに殺され、その髪結いも歌次に殺された。ひょんなことから伊勢屋の実の娘が女中のおきぬだと知った歌次はヤクザ者を大量に雇っておきぬを誘拐させ、竜神堀で殺そうとする。そこへかけつけたのは浪人の竜之助と清二郎そして、またしてもや蛇軍団。

 兄は竜之介に殺され、おきぬは清二郎が助けた。蛇の幻覚と死んだお千代の幽霊に悩まされた歌次は、蛇に首をしめられ竜神堀に落ち、半裸の身体に無数の蛇を巻きつけたまま堀の底へ沈んだ。竜之介は元気回復した伊勢屋の口利きで仕官し、おきぬは清二郎と結婚して伊勢屋を継いだ。

  信心していた蛇が復讐するので化け猫映画に近い。ただし蛇のカブリモノとか、ヤマタノオロチみたいな大蛇とかは出てこない、残念?

 お千代の幽霊は戸板にくくりつけられると言う四谷怪談的な演出もあって結構怖い。一瞬、若いもんに助けられるんじゃないか?ってそんなことしたら映画にならないな、と思いつつ期待を抱かせた後で惨殺されるという演出も上手い、お千代の無念さが引き立つからだ。

 毎度の事ながら本物の蛇が大活躍。というかその、映画のセットって照明がキツイからあわてて暗がりに逃げ出そうとして大慌てになる蛇の様子がジョワジョワした感じで気味の悪さを演出しているわけだが、こうもたくさん出てくるとなんだか気の毒な感じ。蛇だって高いところから落とされれば痛いだろうし、毛利郁子に強引にエリマキされて全身で抵抗しているし。

 まあ役得と言えば、二ップレス貼った毛利郁子の胸のあたりに絡みついた蛇、、ということだろうけど、蛇にすれば大迷惑なことに変わりないだろうから、これも可哀相。

 蛇に同情する映画というのも珍しいのでは?

2000年09月10日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-01