殺陣師段平 |
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■公開:1962年 |
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殺陣師の市川段平を描いた作品ではマキノ雅弘が自らリメイクした「人生とんぼ返り」というのがあって、そっちは森繁久彌のキャラクターもあってコメディタッチ。 舞台指導:上田吉二郎 夜中、妖しげな大人たちが月明かりの中でチャンバラごっこをやってたら普通は怖い。大正の初めの頃、新国劇の一座に市川段平・中村雁治郎という老いた役者がいた。 段平は得意のトンボ返りを披露して川に落ち、髪結いをしている女房のお春・田中絹代と弟子のおきく・高田美和に心配をかけるが、何よりも立ち回りが大好きだった。 新国劇の創立者である沢田正二郎・市川雷蔵に「リアリズムを追求した殺陣を」と言われた段平はヤクザにインネンをつけて本物の喧嘩を体験するなど無茶苦茶に頑張って沢田の言う「歌舞伎の型にとらわれない」ダイナミックな殺陣を考案、観客の反応も上々だった。 しかし東京での公演はあまり芳しくなく、沢田正二郎も脱剣劇を宣言し、段平にも他の劇団からスカウト・上田吉二郎が来るというありさまで、心酔する沢田正二郎がいる一座に居所がなくなっているのを感じた段平は自棄になって看板をぶった切って沢田の前から姿を消した。 五年後、お春が死んでからは、おきくの仕送りと馴染みの婆さん・浪花千栄子の世話になっていた段平は酒の飲みすぎでヨイヨイになり寝たきりの生活を送っていた。 京都へ戻ってきた沢田正二郎はかつて段平が殺陣を考案した「国定忠治」に新たな場面を加えて再演しようとしていたが、その殺陣をなんとしても段平に頼みたいと思っていた。 病状が進んだ段平は興行が行われている南座に這ってたどり着き、沢田に発見されたときには瀕死の状態だった。自分と同様に中気になった忠治の捕縛場面の殺陣を死の床で沢田に披露した段平は沢田とおきくに看取られて死んでしまった。 チャンバラ馬鹿につける薬は無し。段平は妻の死に目よりも殺陣を優先したわけで、現在においては、家庭を顧みないトンでもない奴ということだろうがその心根はわからなくもない。実際、彼は文盲だったから、今のように多様なメディアで勉強することが出来ない当時、段平にはそういう生き方がいいか悪いか判断できなかっただけだ。 そういう段平の生き方があまりにも純粋だったから、女房のお春の優しさはまさに母親のソレである。この役どころに田中絹代を得たのは大正解だね。映画の最後の最後で明かされる親子の秘密も、田中絹代の業の深いオーラのおかげで一層味わいが増したんじゃないですかね。 ただし、サーヴィス精神旺盛な中村雁治郎と田中絹代はあまりにも対象的すぎてあやうく空中分解しそうになったけどね。 この映画の営業上の主演は市川雷蔵だが、実質上の主役は中村雁治郎である。中村雁治郎の芸風はクドイのだが下品ではないのでなんともユーモラスな印象があって好きだ。特に「エロジジイ、ヒヒオヤジ」というあたりが順当で、しかも「ヤリすぎでイッちゃう」ような馬鹿っぽさが魅力。それが殺陣ヲタクの段平と役柄的に意気投合したのが本作品。 実在の沢田正二郎が齢38歳、演じた市川雷蔵が37歳で早世したのは偶然だし、当時は本人も予測できたはずがないのだが今となっては因縁めいたものも感じてしまうのでちょっとツライ。 舞台部分の指導はチョイ役で出演もしている上田吉二郎(新国劇出身)が担当。 (2000年08月17日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-31