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20世紀ノスタルジア


■公開:1997年
■制作:OFFICE SHIROUS
■監督:原将人
■助監:
■脚本:原将人
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:広末涼子
■備考:


 お子様モードの癒し系映画。

 東京の高校生、杏・広末涼子は放送部員である。夏休みの間、ふらりと転向してきた徹・圓島努と杏は、お互いチュンセとポウゼという名前の宇宙人になりきって8ミリビデオで映画を撮ることにする。

 東京中を撮影した直後、膨大な未編集テープを残して、徹は一人でオーストラリアに旅立ってしまった。残された杏は学校の放送室で編集作業に取りかかる。

 こういう映画も見るんですね、こたつさん。いつもは化け猫とかギャングとか怪獣とかが出てくる映画しか見てないんですけど、実は結構ロマンチストだったりすんですのよ、おーっほっほっほ。

 実はミュージカル映画なのだ。嬉しくてたまらなくて自然に歌が溢れ出す。映画の中で歌われる曲はほとんど原将人の作詞作曲。自称・宇宙人、なんというアブナイ奴だと思うわけだが、おまけに映画好きだというのが怖すぎる。普通なら暗くてヘンな奴だから友達なんかできるわきゃないのだが、心にちょっぴり隙間ができていた杏は、イっちゃってる徹と本能的に惹かれあう。

 これって要するに原監督の「ノスタルジー」なのね。て言うか「こんなこといいな、できたらいいな」という「ドラえもん」的子供の夢の映画化、しかもその子は映画ヲタ、みたいな。

 お互いの秘密がテープ編集という作業で、つまり相手が撮ったテープの画を見ることによって徐々に解き明かされていく。

 地球は滅亡すると断言する徹に対して杏の答えが希望に満ちているのも「お子様モード」だからなんでもオッケー。疲れた大人を癒し系。大人の癒しは他人への思いやりに満ちているけれど、子供の癒しは自分への思いやりに満ちている独り善がりである。

 ヒロインの広末涼子はとてもアンバランスなキャラクターである。顔と心のアンバランスさが、時代を象徴しているかのようで実は本作品のように「ちょっぴり古い、なつかしい」風情を醸し出す小道具としてはいいのかもしれない。

 杏の母親の離婚した相手、つまり父親が根岸吉太郎。映画の中で、二人が見るビデオはベベルが主演した「勝手にしやがれ」、さすがゴダール好きの原監督だと思うのだがこれはちょっと反則では?いくらなんでもそりゃないでしょーと思うがなあ。

 20世紀は戦争の世紀だったと言われるけれど、この映画にはそうした時代への反骨やその思想を探るような志は全然感じられない、映画に思想なんか求めるほうがバカなのさ、と面と向かって言われるとちょっくらムっと来てしまうのだけれど?ともかく他人様の自慰行為を延々とみせらるのってやっぱ苦痛。

2000年08月05日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-31