薔薇の葬列 |
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■公開:1969年 |
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ゲイバーのナンバーワンだったエディ・ピーターは複雑な家庭で壮絶な少年期を過ごした。 経営者であり麻薬の売買をしている男・土屋嘉男には、バーのママであるレダ・小笠原修という愛人がいたが、エディと寝てしまう。レダは嫉妬に狂い、人を雇ってエディを襲わせる。 レダは土屋嘉男の心をつなぎとめようと脅したり甘えたりするが、警察の手入れで商売をつぶされた土屋は、レダをクビにした挙句に捨てる。絶望したレダは自殺した。たくさんの造花の薔薇に見送られてレダの葬儀は、地盤沈下で水没寸前の墓地で行われた。 レダの死後、ママになったエディと同棲した土屋はエディが大切にしていた家族の写真を見て仰天し、ナイフで頚動脈を切り死んだ。土屋が実の父親だと知ったエディは、自ら両目をナイフで突き刺した。 いやあ、こういう前衛映画、って言うか左翼映画、というのは苦手なんですけど、ほら、土屋嘉男が出てるっていうから怖いもの見たさで見てみたんですけど、本当にコワイコワイ映画でしたねえ(淀川長冶を思い出しながら)。 美輪明宏、当時は丸山明宏、は綺麗でしょ?え?何が言いたいんだって?そりゃあーた「ピーターって綺麗?」って事に決まってんじゃないですか。 私、こういう顔がすげえ苦手。神田うのと同じくらいゲーな顔なんですよね。眼球が出てるでしょ?それと、顎がチャチでしょ?駄目なんですよもう、見てるだけで吐きそう。なんかめちゃくちゃ言ってますけど、今のピーターはイケてるんですけど、この映画は駄目、もう、勘弁してって感じ。あ、これは趣味の問題ですから気に触ったらごめんなさいね。 で、ピーターの顔なんですけど、しつこい?、ついでにファッションとか見てると驚くほど現代的なんです。今のファッションがこの映画当時のリメイクなのかもしれませんが、つまりピーターの顔は、しつこい?、今どきの人たちの顔にそっくりなんです。顎が小さくて鼻が不細工で目が出てて、オマエ火星人か?って感じの。 ところがギッチョン!(古いか、、)このピーターというキャラクターなくしてはこの映画は絶対に成立しませんね。きっと作り手もこの火星人みたいなのを見つけて「ブラボー!」って叫び(古いか、、)一気にこの映画作ってしまったのでは?ということです。従いましてビジュアル的なインパクトは凄いが映画的には腰砕けって感じなわけです。 当時の本物のゲイボーイたちのインタビューもあります。その人たちの様子のほうが映画の何倍も、そこも映画の部分ですけど、面白かったですね、特にゲイボーイとホモは違う、ホモはスペックだけどもゲイボーイはアプリケーションだと発見できた点です。 この映画は時間と空間が激しい入れ子になって進みます。今でこそ、クゥエンティン・タランティーノ監督の「パルプフィクション」で慣れっこですが、そういう意味ではとても先鋭的な作品であったと言えるのかもしれません。 だから面白いか?っていうとそんなことは全然無いんですが、じゃあつまらないかというとそうでもない、、、当時の風俗がよく分かる教育映画の一つ、というところですかね、ちょっとグロいですけど。 (2000年04月30日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16