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日本ダービー 勝負


■公開:1970年
■制作:東映
■監督:佐藤純彌
■助監:
■脚本:松本功、山本英明、佐藤純彌(大川慶次郎・企画)
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:三橋達也
■寸評:


 競馬のジョッキーさんたちにはプロボクサー並のウエイトコントロールが課せられる、とても過酷な業界である。しかるに、本作品のジョッキーどもの体格はいかがなものか?

 昭和7年、北海道出身の騎手、山形正吉・三橋達也は日本で初めて開催されたダービーに出走するが惜しくも2位になる。同じレースに出走して破れた関西の騎手、直吉・若山富三郎と憂さ晴らしに酒場で大喧嘩して以来、二人は親友に。

 第三回の日本ダービーに病気で出走できなかった正吉は騎手を引退し調教師になる。同じ頃、調教師になった直吉もまた、自分が果たせなかった夢を馬と弟子に託した。正吉の愛弟子・高倉健が騎乗したトクマサ号がついに日本ダービーに勝利、小吉はお祝いに懐中時計をプレゼントした。

 やがて太平洋戦争がはじまり、庄吉の弟子は次々に戦争にとられてしまう。高倉健が追い切り練習中に落馬し視力が著しく低下していることを告白、代わりに出走した見習い騎手・菅原文太がダービーに優勝するが彼も出征し戦死する。

 戦後初のダービー。直吉厩舎の馬の口向きが悪く(ハミ受けが悪く)ひっかかって(暴走して)しまうため、病気の直吉から馬を託された正吉が調教しなおし自分の弟子を騎乗させ出走したところ見事に優勝。しかし直吉はレースの結果を聞いて安心したのか息を引き取ってしまう。

 正吉の厩舎はその後、ダービーを何回も制覇した。しかし正吉の馬一筋の生活は家族にストレスを生じさせ、一人息子の梅宮辰夫は家出、妻・津島恵子は過労死。それでもなお馬に打ち込む父親の必死の姿に感動した梅宮辰夫は競走馬生産に情熱を傾け、素晴らしい素質を持ったアイアンモア号を産み出す。正吉の厩舎でめきめきと力をつけた若馬はいよいよダービー出走の機会を得たのだった。

 凄いですよこの映画。ダービーという名前を冠している以上、人間もオールスタアです。高倉健の奥さんとして藤純子もチョイ役同然で顔出します。

 競馬でも乗馬でも主役は馬。この映画の実に4割近くを占めるのは実際のダービー競争の記録映画です。しかもダイジェストではなく1レースまるまる上映されますから、競馬好きには、タニノムーティエとかアローエクスプレスとかダイシンボルガードとか、映画のスタアと同じくらいの価値の名馬が目白押しですけど、知らない人にとっては、何これ?な映画です。

 なんせ一応フィクションですから、ストーリーに登場する馬が出走しているレースの映像には光学処理がしてあってゼッケン番号やらなんやらがろくすっぽ見えないようになってるんです。だって実際は実在の馬が勝ってるんですからね。

 あと、高倉健とか若山富三郎とか、スリムが身上の騎手にあるまじき体格の人たちが出てきますが、菅原文太はなんとなく許せます、そこんところもご愛嬌ということで。

 先ごろ、急逝した競馬評論家の大川慶次郎が実名かつ本人役で登場するなど往年の競馬ファンには本当に懐かしい映画だと思います。

2000年05月20日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16