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■公開:1961年
■制作:ニュー東映
■監督:家城巳代治
■助監:
■脚本:家城巳代治、間藤守之
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:江原真二郎
■寸評:


 たとえばアンソニー・ホプキンスにように、登場するだけで画面が異常な緊張感に包まれる俳優というのがいる。三國連太郎もその一人。

 青年・江原真二郎は就職先から入社を断られた原因が、死んだと聞かされていた父親のせいだと知る。

 父親・三國蓮太郎が田舎の街で情婦を殺した罪で起訴され、無罪を主張したが結果は有罪、服役中だったのである。父親と再会した江原真二郎はなんとしても父親の無実を証明すべく事件のあった街へ身分を隠してやって来る。

 おりしも市会議員選挙の真っ最中で、立候補していたのは父親を有罪にした検事・中村伸郎だった。対立候補を支援している地方紙の編集長・木村功のバックアップで江原は事件の重要参考人・織田政雄の家を訪ねた。

 織田の娘・三田佳子はしっかり者だったが、兄・清村耕次はロクデナシ、母・清川虹子はのんだくれという絵に描いたような赤貧家庭。おまけに織田政雄もバクチ狂いというどうしようもなさ。

 事件の核心に近づくほど江原は中村伸郎にチクチクと妨害される。どうやら事件の真犯人は別にいるようだった。執念深い江原真二郎は中村伸郎のパシリである荷役業者に接近し真相を探り出そうとするが見たまんまの鬼監督・山本麟一に徹底的に苛められる。

 やっとこさ証人の織田政雄を説得して中村伸郎の演説会場に乗り込んだが、気の弱い織田が逃げ出してしまう。織田政雄に期待するのが間違いと言うところなのだが、それはさておき。会場から叩き出されそうになった江原を、沖仲士仲間・南廣がかばってくれた。この一件がきっかけとなり再審の道が開かれることになった江原は母・荒木道子、三田佳子と一緒に笑顔で歩いていくのだった。

 警察も裁判所もアテにならないなんて冗談じゃねえぞ!なのだがそういうことは現代では全然珍しくないというのも皮肉な話だねえ。

 だからマスコミの関係者ってどーしよーもないんだよな。チンケな奴が権力持つとどんだけヤな世の中になるか。笑顔で若いモンに近づいてくるオヤジなんてロクなもんじゃない、木村功のいけ好かない編集長はホントにリアルだ。

 三國連太郎があまりにも強烈なキャラクターなので、いくら江原真二郎が一生懸命がんばっても「実は殺ってんじゃないの?」という雰囲気があってどうにもこうにも難しい。性格俳優ってのはやっかいなモンだねえ。黙ってても客が裏読みしちゃうから。

 江原真二郎はたぶん、日本映画史上最もヒューマニズムあふれるキャラクターだ。出てきただけで見る者の同情を一気に囲い込めるようなところがあって、ピュアすぎて時には危ない奴に変貌しちゃうのもグー、というか妙にリアルというか。

 終戦直後の混乱、当時の進駐軍(米軍)というものの存在感、そういう時代背景を織り込みつつ、最後に正義は勝つ!こういう展開を空々しいと感じてしまうのは見るほうの心が荒んでいるからかも?ヒューマニズムがダサくなったら人間おしまいなんだ、という映画。

2000年07月01日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16