恋愛自由型 |
|
■公開:1958年 |
|
高倉健破壊工作の一環(なわけないが)であるテレビドラマ「あにき」。寝ぼけて枕にかみついた健さんを見て腰を抜かした人も多いと思うが、大丈夫、健さんにとってソレは昔取った杵柄というのもであることが本作品をみてちょっとだけ納得できる。 両親を亡くした女子大生の美空ひばりは、姉・三条美紀に生活費から学資から全部面倒をみてもらっているくせに、姉夫婦が経営する芸者屋という商売には批判的である。花柳界のご近所の若旦那からもモテモテという美空ひばりであるが、彼女は鼻もひっかけない。 ある日、雑誌社に勤めている江原真二郎から、彼の先輩・高倉健の見合いをブチ壊す手伝いを依頼されたひばりは見合いの現場に突入し、高倉健の「にわか恋人」になりすます。ところが高倉健の見合い相手と言うのがひばりの親友であったので事態はややこしい方向へ。 ひばりは高倉健の両親・沢村貞子、三島雅夫に紹介されることになる。もちろんこれもお芝居の延長戦だったのだが、沢村貞子が芸者を嫌って交際に反対されてしまうやいなや、自分だって芸者を嫌っていたくせに、沢村貞子の意見に対して突如ムカついたひばりは「芸者になる!」と宣言、姉の知り合いの芸者・三浦光子の紹介でお座敷に出るようになる。 今では中学生が売春しちゃう時代だが、ひばりの行動はあっと言う間に大学にバレ自主退学を迫られるハメに。江原真二郎のほうは高倉健の見合い相手に一目惚れし、故郷から上京してきた許婚・星美智子をフッてまで熱烈恋愛を宣言。星美智子のほうは高倉健の家に居候してしまうというムチャな展開から大方の予想通り、美空ひばりのライヴァルとして高倉健に強烈なモーションをかけまくるという、もうなにがなんだかワケワカリマセン。 そいでもってこれまた偶然にもひばりが世話になった三浦光子が高倉健の実の母親(つまり三島雅夫の妾腹ってことね)で、ところが高倉健は芸者である三浦には、育ての母親への遠慮ゆえか意地張って会おうとしないという複雑な事情もあって、他人の家のゴタゴタに余人が口をはさむのはどうかと思うのだが、なぜかシャシャリ出たひばりは、強引に高倉健と三浦光子を再会させる。 でもって普通ならそういうデリカシーの欠如した行動は失敗するのだろうが、そこはさすがにアイドル映画。沢村貞子はなぜか三浦光子を許し、江原真二郎と星美智子は互いにナイスな恋人をゲットし、当のひばりは祖母の田舎にひっこんでいたところへわざわざ高倉健が追っかけてくるという力づくのハッピーエンド。登場人物がみんなそろっておててつないで仲良しこよし、おまけに高倉健はひばりとデュエットまでやっちゃうのでありました。 いないよ、あんな厚化粧の女子大生なんて、とは思うのであるが、これもひとえに「ひばり」人気の物凄さを思い知るには絶好の作品なのである。 美空ひばりの映画はおおむね無教養な娘が活躍してメデタシメデタシという展開が多いと思われるが、本作品では「女性の地位向上」といったリヴェラルな活躍もするのでちょっと珍しいと言えるのかも。なんせ「ひばり映画」というのはたくさんあるので全部観たわけじゃないですけど。 で、高倉健のほうはどうかと言うと、役どころは真面目なサラリーマンで、それだけでも「仁侠映画の神様」という高倉健しか知らない人達にはちょっとビックリ?でもって、結構おっちょこちょいという設定なので高倉健の意外な一面を発見できるのである。たとえば見合いの席上、手持ちぶさたになってデザートのケーキをこねくりまわしてミンチにしてしまう、とか、乱入してきたひばりと芝居をあわせるためにアセって沢村貞子のバッグを振り回す、とかのお馬鹿なシーンがなかなか微笑ましい。 映画の芸術的な価値という点ではどおってことのない作品なんでしょうが、ひばりのファンにも高倉健のファンにもそれなりに楽しめる、かつ一見の価値のある作品というところなんじゃないでしょうかね。 ところで、高倉健と三浦光子の「親子」であるが、そうか十五歳の時の子供か。やるなあ三島雅夫、ってそれじゃあ援助交際か少女売春なのでは?そういう映画じゃないんですけど、ね。 (2000年02月18日) 【追記】 |
|
※本文中敬称略 |
|
file updated : 2003-05-16