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風のかたみ


■公開:1996年
■制作:喜八プロ
■監督:高山由紀子
■助監:
■脚本:高山由紀子
■原作:福永武彦
■撮影:
■美術:
■音楽:東儀秀樹
■主演:坂上忍
■備考:お志麻さん、へんしーんっ!


 「メカゴジラの逆襲」の高山由紀子が脚本&監督ときいてかなり引いたのだが、筆者が尊敬する岡本喜八監督のカラミもあってガンバッテ見てみた。

 引いときゃよかったよ、いや、実際。

 中世の頃、色事師の安麻呂・阿部寛に夜這いをかけられてめろめろになってしまった美貌の萩姫・高橋かおり。その萩姫の元へやってきた笛の上手な次郎・坂上忍も彼女に一目惚れ。さらに萩姫を狙っているもう一人の人物がいて、表の顔は役人しかしてその実体は都を騒がす盗賊というかっこいいんだか悪いんだかよくわからない不動丸・永澤俊矢

 物語はこの主要3名の風雅な愛憎劇なんですけれども、斬ったはったはともかく、その、中世ロマンというもう一つの主要なテーマがものすごーく、トホホなんですの、これ。

 人里離れた館で萩姫が安麻呂を待っていると、暗闇に乗じて不動丸が襲いかかってくる。が、萩姫は一瞬わからないんです。思わず身を任せそうになる、なんちゅう鈍い女だ!と思っていたらさすがに毛深さが違ったんでしょうか?必死の抵抗をする萩姫の悲鳴を聞きつけた次郎が不動丸の後を追いますが逃げ切られます。

 そんな萩姫ですが、恋いこがれている安麻呂が実はただの遊び人だとわかるととたんに次郎にヨヨと身を任せようとする。そんな捨てばちな愛なんていらないや!と思い切って萩姫の顔にビンタの一つもくれるかを思った次郎は、なんとあーた、泣くんですよ、自分が情けないってグチグチたれながら。

 男が一生かけるほどの女じゃねえぞ、萩姫は!という観客の心の叫び(聞こえないって!)を無視した不動丸が性懲りも無く再び萩姫を誘拐、せっかく自分のものになると思った高嶺の花を横取りされた次郎はカンカンになって不動丸に立ち向かって一味を惨殺。やっとこさ自分になびいてくれた姫でしたが、すでに時遅し。大量殺人犯の凶状持ちになってしまった次郎は自分一人で去っていこうとする。

 うーん、ハッキリ言って、ここで終わってくれたらそれなりだったと思うんですけど、残念ながら続くんですね、この映画は。

 なんせ、ここまでの一連の出来事は「真の愛を求めて何百年も生きながらえた魔物・岩下志麻がうたたねこいていた次郎に見せた予知夢、つまり夢だったってオチなんですのよ。

 都に行けばこのように恋に苦しむことになるぞ、それでも行くのか?と訊ねられた次郎が出した答えに感動する岩下志麻。「愛は地球も妖怪も救う!」って感じ?

 で?それがどーしたっての?と思いっきりダルダルになった観客の前に突きつけられるエンドマークの脱力感。

 私、嫌いじゃないんですよこういう中世ロマンって。音楽が東儀秀樹というのも本物嗜好だし。絵的にすごく綺麗だし、隅々まで気が配られている、作り手の美学がよく行き届いた美しい映画というのはそれだけで素晴らしいものなんです、いや、素晴らしくなるはずなんですよ。

 いや、惜しい、実に惜しい。

 これが一昔か二昔前にできた映画だったら、かなり感動できたと思うんですよ。

 生々しすぎるンですね、出てくる人が。下品、って言うのはあんまりなのですが雅を表現するに、もっと適役がいたのでは?という気がして、悔しいくらい。ひょっとして作り手も感じていたのでは?もっと生活感ゼロな人たちを集めなきゃ。いきなりごてごてに塗りたくった多岐川裕美なんかが出てきた時にゃ、もう発狂寸前でしたもん。少なくとも私の頭と胃袋は受け付けませんでした。

 演れる役者がいないんだったら、こういうのこそフルCGでやるととても良いんじゃないですかね?

 出てくる人が全滅だったかと言うとそうでもなくて、萩姫の側に仕える尼僧に元東宝の田村奈巳がいて、あ、ちょっとくらい老けてていいから奈巳さんに萩姫演ってもらえば?とかそんなことばっか考えて観てました。

2000年03月03日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16