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「女の小箱」より・夫が見た


■公開:1964年
■制作:大映
■監督:増村保造
■助監:
■脚本:高岩肇
■原作:黒岩重吾
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:若尾文子
■備考:ドロドロのぐっちゃぐちゃ。


 大手企業の株式課長、川代・川崎敬三は、やくざ上がりのキャバレー王、石塚・田宮二郎が行っている株の買い占めについて密かに調査するように命じられた。

 川崎敬三には妻・若尾文子がいたが、情報収集のためという口実で石塚の秘書、エミ・江波杏子を愛人として囲い、田宮二郎のパトロンを割り出そうとしていた。江波の恋人である吉野・千波丈太郎は嫉妬に狂って江波を絞殺、その罪を川崎敬三になすりつけようとする。

 夫にかまってもらえない不満から知り合いの女医に誘われて偶然入ったバーで田宮と知り合った若尾は、株主名簿を狙っていた田宮を自宅へ招き入れてしまう。殺人事件の容疑者として警察に取り調べられた川崎は田宮へ疑いを向けさせるべく、嘘のアリバイ工作を若尾に命じるが、彼女は裏切って、逆に江波が殺害された時刻に田宮と一緒にいたことを警察に申し出る。完璧なアリバイが立証された田宮は釈放された。

 田宮には内妻でバーのマダム・岸田今日子という愛人がいた。彼女は田宮の「堅気の社長になりたい」という夢のための資金を提供しそうな金貸しや代議士などと寝て、田宮に融資をさせていた。田宮二郎が若尾文子と結婚したいと言い出した夜、岸田は彼をナイフで刺して重傷を負わせ、若尾を呼びだして殺そうとする。

 岸田今日子って大概の場合そのキャラクターは「変」ていうかSF風味入ったのが多くて、もっとハッキリ言ってしまうとまともな女(人)じゃないわけよ、これが。

 それを、さ、愛人として使いたおしてあっけなく捨てたらこりゃヤバイっしょ?それに上場企業の社長夫人が水商売やってて金のために男と寝まくった過去があったんじゃあ男から見て邪魔なだけじゃん?というわけでこの映画はしょっぱなの数分でオチが読める。

 見どころは全員が納得して予測して期待しているオチがどれくらいドロドロにできるか?という点に絞られる。そんなんワクワクしながら観てどーすンの?という輩もおられましょうが、そーうゆー人は増村保造とか岸田今日子とかのキーワードは避けなさい、ほぼ百発百中でドロドロなんですから。

 女二人が主人公である本作品だが、ここでキーパーソンとなる田宮二郎に注目しよう。

 古代より、恋でその力が失われるのは魔女の特性だが、この映画では田宮二郎がその魔女役だ。ただしとびっきりの自信過剰の色男であるから、本人は魔力ではなく実力、つまりすべては必然的に備わっている力であって失われることがないものだと誤解したところが悲劇なのよね。

 お姫様がカエルになっていたのではなく、カエルがお姫様にさせられていただけで、実はおまえはカエルなんだから人間サマと結婚するなんてトンでもないのさ、とあからさまに宣告されたと岸田今日子は思ったわけで、つまり田宮二郎は封印を解く呪文を間違えたのである。若尾文子に惚れたせいで無くなった魔力がまだ通じると思ったら大失敗ってオチ。

 川崎敬三には魔力がなかった。だから若尾文子は自分がお姫様なのかカエルなのか間違わずに人間の女であることがわかっていたし、人に殺されることも人を殺すこともなかったのである。

 同じように男の道具として扱われながらも片方はそれで男の愛が得られていると錯覚し自滅、もう片方は道具であることを自覚し自立した。教訓的だねえ。

2000年01月23日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16