震える舌 |
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■公開:1980年 |
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難病モノは難しい。医学の進歩はめざましく、価値観というのは時代毎に変化していく。時を経て後世の人たちに誤解を与える、つまり「寝た子を起こす=差別や偏見を生し返す」ような内容の作品は、およそ封印されていまいがちである。映画をもっと、時代の風俗を残すという記録的な価値、単なる報道映画には残すことのできない、人々の感情や世情を監督の鋭い感性でつかみとり、もっとも的確に表現された貴重な時代の記録として取り扱えば、再生すると思うのであるが。 新興団地に住む若夫婦、渡瀬恒彦と十朱幸代の一人娘、若命真裕子はどろんこ遊びをしていて、指先の小さな傷口から破傷風菌が体内に入ってしまう。 その発症に至るまでのディテールは克明で、いきなり無口になってしまった娘にいらだつ父親、というのは破傷風菌が入ると口が開きにくくなるからで、さらに「喋れるけど喋れない」という娘の台詞も、顎が疲れやすくなるという病菌の特徴をじっくりと説明。 やがて娘の足の筋肉が硬直し始め歩きにくくなって、ついに全身痙攣を起こすのだが、このシーンのアタック力はもの凄い。 可愛い少女が全身を弓なりにして「ぎいいいいいーーーーっ」と悲鳴を上げる、可哀相とかそんなんじゃなくて見てるほうも狼狽するのみ。舌を噛んじゃってるから口は血塗れ、必死に割り箸で口を開かそうとする父親。ところが救急車で運ばれた小さな病院で娘に下された診断は「ストレス」というものだった。 ここから先は聖路加国際病院の全面的なバックアップにより、破傷風と診断されるまでの経過、治療のステップが執念深く描かれていく。破傷風、これってものすごくオッカナイ病気なのね、とにかく光や音やあらゆる刺激が駄目なのだ。 刺激を避けるために暗闇で息を潜めて、いつ痙攣の発作が来るかも知れない娘の様子を見守るだけの両親。呼吸器や心臓の筋肉に麻痺が来たら確実にアウトらしいので、いや、麻痺が来るその前に痙攣で体を反らせすぎて脊椎をヘシ折ることすらあるらしい。 目の前で口から血の泡を吹いて暴れる娘を見ながら自身も感染におびえる両親。 主治医・中野良子、医療スタッフ・中島久之らの献身的な努力にもかかわらず病状は悪化していく。義母・北林谷栄、仕事先の上司夫妻・蟹江敬三、日色ともゑの励ましを受けながらも追いつめられてノイローゼ状態になる若夫婦。 この映画はとてもよくできた「家庭の医学」だと思う、患者本人のためだけでない、むしろ同じく病気と戦う周囲の人々のための。「子供を産まなきゃ良かった」「結婚しなければ良かった」と嘆く母親、身につまされるが、救いは他の親族と周囲の暖かい支援だ。小さな子供が病気になるとなにかと風当たりが強くなる「母」や「嫁」への愛情と激励は観ていてはっとさせられるものがある。 医療スタッフのありようにもこの映画は言及している。ほんのささいな一言でも殴ってやりたいくらいの暴言という感じで、でも患者サイドとしてはそんなことできない弱い立場。医者から見れば患者は大勢いるうちの1人だが、患者とその家族から見れば、世界でたった1人の神様だ。 いや、実際、聖路加国際病院って素晴らしいっすよ、私は入院したことありますけどね、この映画に出てくる古い建物の頃に。子供に対しては時に厳しく、いつもやさしく。私が入ってた頃は日曜学校とか寝る前のお祈りなんかもしてました。「ほかの病気で苦しんでいる人たちが元気になりますように」って言うんですけど、あれは子供心にとても励まされましたね、自分一人が苦しいんじゃないんだってことで。なんというか正しい宗教のあり方をあそこで教えて貰ったような気がします。 映画としては、あっけなく子供が助かってしまうところがリアリティがないという風に思うけれども、本当に、今、破傷風を含め、苦しくて、痛くて、どーしよーもない病気と闘っているという人は現実にたくさんいるわけだから、絶望させなくてもイイじゃん、映画なんだから。 (2000年01月16日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16