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妻は告白する


■公開:1961年
■制作:大映
■監督:増村保造
■助監:
■脚本:井手雅人
■原作:円山雅也
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:若尾文子
■備考:余韻の残る女優。


 戦災で孤児になった彩子・若尾文子は、初老の医学者、滝川・小沢栄太郎と、生活のために半ば強引に口説かれて結婚したが、子供はなかった。

 登山が趣味の小沢栄太郎と若尾文子、それに小沢の研究のスポンサーである製薬会社の社員、幸田・川口浩が穂高で遭難し、小沢栄太郎だけが転落死した。

 小沢栄太郎が足を踏み外し、若尾文子と一緒に断崖絶壁にザイル一本で宙づりになってしまい、川口浩がなんとか二人を引っ張り上げようとしたがこれはどう考えても無理。下手すりゃ三人とも死んでしまうのでは?という状況で、真ん中になっていた若尾がザイルを切断した。小沢栄太郎が生前、川口浩に勧められて多額の生命保険に加入していたため、事故は殺人事件の疑いが濃厚になり裁判になる。

 若尾文子はザイルに締め付けられて失神しそうになり、無我夢中でザイルを切ったのか?それとも、若い女房の浮気を邪推した嫌みな亭主を謀殺しようとしたのか?という導入部から裁判の進捗ととともに次第に事件の真相が明らかになっていく。

 あれよ、ほら、海で溺れたときに自分一人がやっと乗れる小船にもうひとり乗ろうとしてきて、あきらかにこのままじゃ共倒れだな、って時には後から来た奴をぶち殺しても罪にならない、とかなんとかいうのあるじゃん、法律で。

 はたしてヒロインは、同性から最も蔑まれる女の武器、つまりセックスアピールとうそ泣きを駆使して他人の同情を買いまくるという計算尽くでサクセスしようとしたクソ女だったのか?それとも貧乏から逃れたくて、人の愛情が恋しくて、ひたすら本能に忠実に生きようとした苛烈で健気で無邪気な女だったのか?

 栄養失調でぶっ倒れるくらいに貧乏で、自殺しようとしたのも本当だったろうけど、そうやってシンドイ目に遭わされていく課程で徐々に「女の風上にもおけない女」になったんだろうねこのヒロインは。こういうのに実は男は弱いンだってことも生きる術として体得してしまったわけで、最後の数分まで、真実を告白した川口浩に捨てられて彼の会社に、わざわざ傘もささずにびしょぬれになって駆けつけたその瞬間まで、ぶち殺してやりたいくらいのキャラクターだ。

 結局、本当に自殺してしまった彼女はやはり最後まで、私がヒロインッ!という女から見ていて一番ムカツク女だったんだと思う。だって本当に好きな男に迷惑かけたくなかったら、なにも好き好んで男の会社の便所で青酸カリなんか飲まねーよ。

 ヒロインの心情は川口浩に放った「あなたには婚約者のお嬢さんがいるから」の一言でオールだ。「婚約者がいるから」で充分だろ?フツーはさ、そこにわざわざ「お嬢さん」って入れるところがスッゲー嫌味。

 今どきの演出ならこのヒロインは、実は健気なのよお!ってところをチラチラ見せたりすンだろうけど、そーゆーの一切無いんだよ、若尾文子は。それで観終ってしばらくして、はたと気がつくンだよね。あいつ、実は一途で純な女だったんだなあってことを。可愛いなんて陳腐な人間じゃなくて、「純粋な人間」だったんだなあ、と。それで初めて涙がじわーっと出て来る、みたいな。

 こういう余韻を客に残す女優さんってホント、少ないんだよね、後引くっていうか、良い意味で。

2000年01月23日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16