吾輩は猫である |
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■公開:1975年 |
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苦沙弥先生・仲代達矢は中学校の英語の教師。自宅に隣接している中学校は金で大臣の椅子を買おうとしている実業家・三波伸介が後援者なので気に喰わない、そこでわざわざ遠くの学校に勤務しているというへそ曲がり、というか信念の人だ。 この家に住みついた一匹の野良猫・ティム号。先生の奥さん・波野久里子がどんなに追い出そうとしても全然平気なこの猫に、先生は憧れのような愛情を抱く。当の猫はそんな先生の膝で思いっきり暴れて逃げ出すような実に恩知らずな奴だが先生は結構気に入っているらしい。 先生の家に遊びにくる学者連中はみなユニークだ。迷亭・伊丹十三は実にもっともらしい顔をして嘘をついてばかりいるし、若手の寒月・岡本信人は謎の研究ばかりしている。そんな寒月が実業家の娘に一目惚れしたらしい。 実業家の娘・篠ヒロコの母親・岡田茉莉子は早速、寒月の身元調査を開始。二絃琴の師匠・緑魔子、車屋の女将・春川ますみらに素行調査を依頼すると同時に、先生の家へもヒアリングに乗り込んで来た。高飛車な上にあの大嫌いな実業家の妻にあることないこと吹き込んでからかった先生と迷亭は、したやったりと大爆笑、見事にこの恋愛はオシャカになった。 二絃琴の師匠が飼っている三毛猫に恋をした先生の家の猫は、イタチとの戦いのために、その必殺の「最後っ屁」にやられないために自分で鼻をたたき潰そうとしている車屋の黒猫を尊敬していた。 金田は賄賂をだまし取られ大臣になりそこねた。先生のクラスから金田の娘にラブレターを送った生徒がいたため、先生は校長・岡田英次に呼び出された。 帰省していた寒月が嫁さんを連れて来た。金田の娘は先生の家の元書生で今は金田の秘書になっている男・左とん平と結婚するそうだ。胃弱がひどくなった先生は姪・島田陽子の家に外泊した後、家に帰った。 二絃琴の師匠の家の三毛猫が死んだ夜、ビールを飲んで酔っぱらい水瓶に落ちた猫が死んだ。先生は小説家になる決心をして第一作を執筆中、題名は「吾輩は猫である」とあった。 この映画では登場する男がもれなく軟弱か、世間知らずか、わがままか、単なる馬鹿です。これに対して女は全員、パワフルで下品でやっぱり馬鹿です。この映画の作り手は女性に対して相当の畏敬の念を抱いているんじゃないかと思います。 猫から見た人間の生態ってたぶん、こんなもんなんでしょうね。中でも三波伸介の芸術的な馬鹿芝居にハマりまくる妻の岡田茉莉子と娘の篠ヒロコのお下劣ぶりは素晴らしいの一言ですね。もちろんお妾さんを生業としている二絃琴の師匠である緑魔子の不思議系的な魅力もあるのですが、ここでは性悪の上に無教養で高飛車な篠ヒロコさんに注目しましょう。 外面だけは抜群で近所でも評判の楚々とした美人ですが、自分に惚れた寒月をボロクソにけなし、ラブレターの送り主にけちをつけ、女中の着物に生意気だと嫌みを言いまくり、きなこ餅をはしたなく喰いまくるのです。どうです?想像しただけでドキドキしちゃうでしょ?そんな篠も理屈や直情に因らない叩き上げタイプを選んだので、人を見る目だけはしっかりしていたようです。 最後にこの映画の本当の主役である猫ですが、なかなかの名演かつ美男子です。ただし、カット割りされているとは言え、思いっきり蹴り飛ばされたり、水の中でもがいたりするシーンがあるので動物愛護団体からクレームが来るのでは無いか?と心配でもあります。ま、撮影中に猫を高架線から放り投げたとか、溺死させたなどの黒いうわさがある他作品にくらべれば、猫の気骨と気品、つまりこの映画で人間たちに致命的に欠けているものはちゃんと描かれているので猫好きにはお勧めです。 原作とくらべてどうのこうの、というのは好きではないので、映画は別物という視点で見れば、ちゃんと芝居のできる人たちが(好き嫌いは別として)いて、もう少し映画としてのダイナミズムや観客サービスも欲しいところですが贅沢は言わないとして、大人の喜劇としてはブラックユーモアもアリ、ということで結構楽しめる作品なんじゃないでしょうか。 (2000年03月11日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16