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宮本武蔵


■公開:1973年
■制作:松竹
■監督:加藤泰
■助監:
■脚本:野村芳太郎、山下清泉
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:高橋英樹
■備考:人間くささ爆発の剣豪。


 関ヶ原の合戦で又八・フランキー堺と離れ離れになった武蔵(たけぞう)・高橋英樹は、又八の母、お杉婆に恨まれ命を狙われる。沢庵和尚・笠智衆によって木に吊されていた武蔵を助けた又八の婚約者のお通・松坂慶子は武蔵とかけおちしようとするが、又八を裏切れない武蔵は一人で行方をくらます。

 数年が過ぎ、武蔵は名前を宮本武蔵(むさし)と変えて、剣の腕を頼りに諸国武者修行の旅をしていた。京都の吉岡一門に挑戦した武蔵は、伝七郎・細川俊之と対決し右肩を粉砕骨折させて勝利を得た。この時、同じ武芸者としてまだ無名だった佐々木小次郎・田宮二郎とすれ違った武蔵は、並々ならぬ殺気を放つ小次郎の刀を見て恐怖心を覚えた。

 又八は戦場で知り合ったマニアックなお色気母娘、お高・木村俊恵、朱美・倍賞美津子に京都の売春宿で世話になっていた。武蔵を追って、お通とお杉婆も京都へ来ていた。武蔵を執拗に付け狙う吉岡一門は、いとこにあたる少年を名目人にして武蔵を殺そうと待ち伏せしていた。敵陣の背後から襲いかかった武蔵は、怯える少年を一突きにして、さらに首をはねた。襲いかかる一門をなぎ払ながら武蔵は必死に逃げ延びた。

 その後も武蔵の快進撃は続き、ついに細川家の用人・加藤嘉から指南役への推薦を勝ち取るまでになった。しかし、別の用人・加藤武が佐々木小次郎を推薦したために、細川家の当主・浜畑賢吉の前で佐々木小次郎から勝負を挑まれる武蔵。だが、武蔵が小次郎に気後れして断わったために、小次郎はすんなりと指南役に正式採用されたが、小次郎は不完全燃焼気味。

 悩んだ武蔵は沢庵和尚のもとをたずねた。その頃、又八は自分の子供を産んだ朱美と再会し夫婦になる約束をする。武蔵を殺せなかったお杉婆は宮本村に戻っていたお通を殺そうとして心臓発作で急死してしまった。

 そんなこんなで用人同士の派遣争いなんかもあって、ついに船島で武蔵と小次郎は対決することになった。

 高橋英樹と田宮二郎、デケーぞこいつら。田宮さんに佐々木小次郎ってのはアタリだね。ひょっとしたら歴代の佐々木小次郎の中で一番ハマってたんじゃないのか?。もちろん、私の個人的な評価ですけどね。

 私にとっての宮本武蔵という人はなんか良くわかんない人の筆頭、パラノイア気味の剣術オタク、エラそな殺人マニア、人殺しの癖に人に説教すンな!とかそういう感じで、たんなる勉強不足に目をつむって頂くと、一言で「いけ好かない野郎」ってことなんですね。

 ところがこの作品の武蔵は小次郎に怖じ気づいたからって一度は勝負をズラかるんですよ。それをね、正直に沢庵和尚に告白するんですね。それで船島に対決しに行くときにお通さんと会うんですよ、最後の別れだってことで。お通さんの涙に見送られて行くんですね。つまりこれ、時代劇映画の仮面を被った仁侠映画だったんですね。

 ひょっとして武蔵、背中に入れ墨やってんじゃねえの?とか一瞬思ったりなんかしますね、だって演ってんのヒデキですもん。

 これまでの武蔵役者、私が観たのは長谷川一夫、仲代達矢、中村錦之助、三船敏郎、市川海老蔵(テレビ)ですが、いずれも説教臭くて人間臭くなかったんですね。その点ヒデキは違う。そもそも目一杯馬鹿そう(役が、ですよ)だ。単純馬鹿が体力にまかせて諸国武者修行をしている、自分のやることにいちいち理屈つけない、語れない、言い訳しない、強そうな人がいれば花の蜜を求める蜜蜂のような純粋さで戦いに行く、人情味と人間味が溢れまくる武蔵、と言うかヒデキならではの武蔵でしたね。

2000年02月04日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16