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怪談・雪女郎


■公開:1968年
■制作:大映
■監督:田中徳三
■助監:
■脚本:八尋不二
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:伊福部昭
■主演:藤村志保
■備考:日本昔ばなし・実写版。


 仏師とその弟子、与作・石浜朗は材料となる木材を探しに山奥へ入っていった。そこは冬になると雪女郎が徘徊し、その姿を見た者はもれなく全身フリージングのサービスに遭うという言い伝えがあった。

 苦労の末、紫雲につつまれた巨木を発見した二人は大喜びで運び出そうとするが、やにわに天候が悪化、猛吹雪に巻かれて無人の猟師小屋へ避難する。

 火を焚き休んでいると思った通り、そこへゴールドのカラーコンタクトがまばゆく光る妖怪、雪女郎・藤村志保が現れ、仏師をその冷たい吐息で凍死させる。雪女郎が次にターゲットとしたのは与作だったが、雪女郎もお年頃だったのか、若くて色男だった与作を殺すのはちょっと惜しいかも?と思ったらしく、彼は雪女郎に遭遇したことを絶対に口外しないことを条件に命を助けて貰った。

 与作は仏師の未亡人・村瀬幸子と同居しながら、死んだ仏師の後継者として寺に奉納する仏像の制作準備をしていた。偶然知り合った美しい女、雪・藤村志保と夫婦になり一子、太郎をもうけ幸せに暮らす与作。

 京都からもどった地頭・須賀不二男は与作の妻に横恋慕して、山から無断で木を切り倒したとかなんとかいいがかりをつけて、罰金が払えなければ女を差し出せ!ってな感じのヤクザな脅しをかけてくる。

 雪は国司・内藤武敏の一人息子が難病に罹っていると知ると、妖術で全快させて金を工面してくる。目論見が外れた地頭は、今度は都から著名な仏師・北原義朗を招き、与作と競作させると言い出す。

 与作の腕前を高く評価し、地頭の腐った根性を叩き直そうとした高僧・清水将夫から、都の仏師が作った仏像には慈悲の心が感じられないので受け取れないよと、やんわりと説教された地頭は面目丸つぶれでやけくそになり、村の神社に与作と一緒にお参りした帰りの雪を納屋へ連れ込み強姦しようとする。

 やっと二人っきりになれたわね、と喜んだのは地頭だけではなく雪も同様。カンカンに怒った雪は恐ろしい雪女郎の正体をあらわしてあたり一面、古い冷蔵庫の冷凍室状態にして、おびえる地頭を急速冷凍、後から入ってきた家来もカチンカチンにしてしまった。

 昔話に出て来る悪玉ってどーして、こう、懲らしめられる前に反省せんのかねコイツは、と思うのだが、昔話って啓蒙だから、しゃーないのよね。子供にしてみりゃ「ああいう大人になっちゃいけない」とか「自然を甘くみちゃイカン」だし、大人にとっては「調子ブッこいてンじゃねえぞ」って戒めだもんね。

 雪の正体をとっくに見破っていた巫女・原泉子が与作の家にやって来て、与作はついに雪女に出会ったことを雪に話してしまう。正体を知られてしまった雪は子供の養育を与作に頼んで山へ帰って行った。

 子供のために、子供の将来を思って、子供の前から姿を消さなくてはならない母。

 どうだろう?与作、正体知ってンのは原泉だけなんだからこの婆アさえぶち殺せばセーフなんじゃないのか?てなドライなわけにゃあいかないのだね、これが。だってこの雪女は与作の師匠を殺してるわけだし、たぶんきっと正体を知られたらなにかあったときに、ふとしたきっかけでその事が原因でお互い不幸になるかもわかんないし、、、。

 それに母親が妖怪でおまけに人殺しってンじゃあ子供の将来への影響が心配されるもん、母親としてはさ。

 お互いに永遠に相容れない世界の二人の恋って、人間どこかしら他人と完全に理解し合えることなんかできない部分があるわけで、与作が雪女に対して抱いたわだかまりもきっとその辺が原因で、観ている方としてはそういう自分と共感しちゃうってところもある。が、結局のところ大昔は身分とか出自とかでいろいろと不自由な事がたくさんあって、そういうのを辛いなあと思うのは人間いつの時代でも同じなんだろう、ということだね。

 相手を思う、この心根がね、本当に美しいなあと感動するわけよ。

 今時、自分の離婚やらなんやらを大仰に宣伝しまくってるのが多いじゃん?子供やほかの家族と親戚の迷惑ってものを少しは考えんかい!と思うのがフツーだろ?それがさ、それで番組一本作って金儲けする臆面もない時代なわけだから、たまにはこういう純粋な映画に触れると本当に心が洗われる。

 妖怪映画とはお化けを道具にして生活感を消した人間ドラマ、普遍心理を説くのにクサミを消したいならお化けにまかせろ!

2000年01月23日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16