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怪談・鬼火の沼


■公開:1963年
■制作:大映
■監督:加戸敏
■助監:
■脚本:浅井昭三郎
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:城健三郎(若山富三郎)
■備考:本物の幽霊が出て来ない怪談映画。


 お数寄屋坊主の沢村宗之助は愛妾のお蓮・近藤美恵子とは倦怠期で、今では新しい女中の八重・高橋通子にぞっこん。

 茶坊主の甥っ子で無職の色男、敬助・小林勝彦という愛人がいるお蓮さんとしてはハゲでデブでスケベなオヤジなんかどうでも良かったンだけど、小娘に負けるという女のプライドが傷つくような状況になるのと、贅沢な暮らしを手放すのはイヤ。

 おまけに甲斐性なしの敬助がばくちで多額の借金をこしらえて、賭場の用心棒、三郎太・城健三郎(前、後・若山富三郎)に暴力的な催促を受けていたので、お蓮さんとしてはなんとしても実子のいない茶坊主を早々に始末して、唯一の親戚である敬助に跡目を継がせたい。

 そうか、殺されて化けて出るのは沢村宗之助か、つるつる坊主がバックリと割れてそこから大流血した幽霊ってすごく怖そうだな、期待でワクワクしちゃうぞ!

 ところがどっこい、なかなか死なないんだよねえ、これが。

 茶坊主が賄賂をもらってさる藩をエコヒイキしたことを抗議しに来た武士・浜村純は、激昂して坊主に斬りかかったのだが、そこへ小遣いほしさの敬助が飛び出して来て、お供の若頭・丹羽又三郎もろとも返り打ち。

 そして一年が過ぎる。

 お蓮が毒を盛った食事は、坊主が異臭に気づいて喰わないし、温室で植物を育てている坊主を事故に見せかけて殺そうとした計画も、デブは運動神経鈍いから庭歩いてて転んだとかなんとかで、坊主は温室には行かず、可愛い八重さんが身代わりに。

 そんでもって八重の幽霊に呼ばれて心配のあまり茶坊主の屋敷を訪問した兄の清蔵・丹羽又三郎(二役)は、証拠隠滅のために三郎太に殺されるし、って、なんか善意の人たちだけが次々に死んでないか?でも怪談映画って本来そういうモンだから間違ってないんだけど「夢枕に立つ血まみれハゲ」というスプラッターなシーンはどうなったんだー!

 これはおかしい、何かある。やっと出てきた清蔵の幽霊が敬助やお蓮さんの前に出てくるんだけど、どうも怪しい。

 死体を投げ込んだはずの空井戸には坊主を呪ったわら人形、死んだはずの清蔵が勤務先の芝居小屋でピンピンしている、そしてある晩、坊主と不倫カップルが謎の呼び出し状で屋敷の裏手にある沼のほとりに召集をかけられた。

 一年前に敬助が惨殺した武士とお供の若頭は、三郎太の実父と清蔵の実兄で、死んだ八重さんは仇討ちの手伝いをしていた清蔵の許嫁。この三人が共謀して坊主と甥っ子を相争わせて復讐していたのである。八重さんの幽霊は芝居小屋の小道具、これを見て腰を抜かした敬助がうっかりお蓮さんを斬ってしまう。

 やけくそになった敬助は坊主と斬り合い二人とも瀕死の姿になり、正体をあらわした三郎太によって温室に閉じこめられてしまう。乱闘の最中に倒れたロウソクの火で温室は丸焼けになり、二人は焼死、坊主の家系は絶えた。

 これって仇討ちのお話だったのね、こりゃ、一本取られましたなあ。

 兄弟二役だった丹羽又三郎はともかく、浜村純の息子が城健三郎ってのが意外すぎてなかなか気が付かないんだよね。見ため的にいかにも板に付いたガラの悪さだからそんな親孝行しそうにないじゃん?城健三、っていうか若山先生は。

 「怪談・鬼火の沼」というタイトルに反して本物の幽霊がひとつも出てこない、珍しい怪談映画。

 温室の修繕に来る左官の役が中田ダイマル・ラケット。ダイ・ラケ師匠の素晴らしすぎるアチャラカ芸が堪能できるのもオールドタイマーズには嬉しいオマケ。

2000年01月02日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16