どっこい生きてる |
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■公開:1951年 |
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敗戦間もない頃、日雇いの労働者(ニコヨン・日給240円だったことに由来する)の毛利・河原崎長十郎には妻・河原崎しづ江と二人の子供がいるので妻の内職による収入をプラスしても生活は思いっきり苦しい。おまけに借家が取り壊しになってしまい、仕方なく妻子を遠方の親類のところへやることにした毛利は、徴用で身につけた技術のおかげで旋盤工の仕事を得た。 毎日お金がもらえるニコヨンと違って給料日まで食いつなげないと思った毛利は、採用決定のその日のうちに前借りを申し込んだが断られた。当座の金を工面しようとニコヨン仲間の木村功や飯田蝶子に頼んで借りた金は就職できた嬉しさから中村翫右衛門と一緒に木賃のベッドハウスで酒を飲み、酔っぱらったスキに泥棒されてしまう。 身なりがボロい上に前借りを頼んだことで就職先からクビを言い渡され、どうしようもなくなった毛利は、借金を返すこともできなくなり、すっかり落ち込んでしまう。そこへ中村翫右衛門が上手い儲け口を紹介すると言う。それは、金持ちの屋敷跡へ忍び込み敷地内の水道管を掘り出して、屑鉄よりもはるかに高く売れる鉛管を盗んで来ようという話だった。つまり泥棒、である。 不慣れな毛利は、ちょうど後かたづけに来ていた屋敷の住人に発見され中村翫右衛門とは散り散りにあわてて逃げ出す。ベッドハウスへ戻ると、宿主・柳栄二郎のところへ警官が来ていた。姉の実家にいるはずの妻子がキセル乗車で上野駅に保護されていると言う。頼った先も子沢山の赤貧生活でとても転がり込むことが出来ず、金も無いので戻るに戻れず一か八かでキセルをして帰ってきたのだと言う。 鉛管は無事に売れたらしく、中村翫右衛門が金を分けてくれた。妻子に十分な食事をとらせてやる毛利の態度がおかしいと気づいた妻。毛利は翌日、子供たちを連れて遊園地へ出かけ、それを最後の思い出に一家無理心中しようとしていたのだった。 毛利と妻が一瞬目を離した間に長男が池に落ちてしまう。溺れて動けなくなった息子を助けるうちに毛利は死ぬことなんか考えないでもう一度、必死に生きてみようと決心した。 酔っぱらって金取られたこのオヤジを誰が責められようか。嬉しかったんだよ、おまけにこの主人公は戦争前はいっぱしの経営者だったらしいから余計に切ない。なんかこう、これ本当に作り物なんですか?と質問したくなるような汚れっぷりで、臭いがプーンとスクリーンから漂ってきそうだった。 「俺、金がないんだよ」なんて台詞すらリッチに聞こえるくらいのもの凄い貧乏。金どころか仕事も住む家も家財道具も生きる希望もなんにもなくなった主人公のそれでも「どっこい生きてる」と言うか「どっこい死なない」のほうがなんぼか適切なタイトルだと思えるぞ。 ホームレスになりゃイイじゃん、と今の時代なら言えるかも知れないが、あんたこの時代じゃあファストフードもコンビニもないのよ、そもそもゴミなんか出やしないんだから、ゴミになるモノが無いんだから、どーやって飯喰うわけ?で、屋根のあるところなんか無いのよ、みーんな米軍が爆弾で焼ちゃったから。どーやって生きろっての?って感じ。この時代のホームレスはつまり「のたれ死に」と同意語なのだね。 斡旋所に流れる曲は「カッコーワルツ」。黒澤明監督の「酔いどれ天使」のマーケットでも流れていた曲だ。戦後のどさくさと最も遠い存在のようなサワヤカな旋律の「カッコーワルツ」がミョーに印象的。 (2000年02月23日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16