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大怪獣東京に現わる


■公開:1999年
■制作:吉本興業
■監督:宮坂武志
■助監:
■脚本:NAKA雅MURA
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■特撮:
■主演:桃井かおり
■寸評:


 映画制作というのは金がかかる。金持ちが映画制作に興味をもってくれるのは悪いことではないが、金の取れる映画を作るのは容易なことではない。

 怪獣が出て来ない怪獣映画、なんて誰でも考え付きそうなのだが、しかし、誰も実現しようと思わないのが普通だ。今まで企画倒れという映画は数あったが本作品は企画そのものがすでに倒れていたんじゃないかというくらいなのだった。

 敦賀原発にほど近い、地方都市で平凡な生活を送っていた主婦の桃井かおり。子供を送り出した後はテレビのワイドショーかなんかを煎餅ポリポリやりながら見ているような、そんなごくごく普通のある日、大怪獣は突然、出現したのである。

 それは東京湾から上陸してきた、光線を口から吐く、巨大なトカゲ(類:ゴジラ)のような原子怪獣。桃井は近所の主婦とともにテレビの緊急ニュースを食い入るように見つめていた、とは言うものの、東京で起こっている災害なんて芸能人のスキャンダルくらいにしか彼女の住む田舎では感じられない。

 ところが、もう一匹、亀のような怪獣(類:ガメラ)が福岡に現われて、この二頭がお互いに引き付けられるようにある一箇所めざして進撃開始。

 台風情報さながらの進路予測から、どうやらそれが自分らの住んでいる方面らしいと判った桃井たちはパニック状態に。地元民のみならず、ちょうど営業に来ていた売れないロックバンドもこの騒ぎに巻き込まれ、静かな田舎の町は大騒ぎ。

 世紀末、末世を予感した高校教師、田口トモロヲは、突如、女子生徒に襲いかかり、強姦するかと思いきやその制服をはぎとって「着てみる」というマニアック(毎度のことながら)方面へ暴走。

 おかしくなったのはトモロヲだけではなかった。怪獣を利用しようとした新興宗教の女性信徒は、信者勧誘活動の最中に、車にハネ飛ばされ大流血。

 なにがなんだか分からない、ヘンな人々のヘンな行動はますますエスカレートし、姿が見えない怪獣たちはそれなりに都市を全滅させ続ける。

 桃井の亭主、本田博太郎は、怪獣の対決によって敦賀原発に被害が出ることを恐れた隣国の韓国軍が、嫌々ながらも原発の防衛に協力すると考え、一番安全な避難地域を敦賀原発と決める。

 東京の出版社から自叙伝を自費出版しようとして、今回の怪獣騒動でオジャンになった高松英郎の家には、謎の神様、竹内力が降臨。広域暴力団の幹部のようなイカツイ神様に辟易していた高松であったが、とりあえず孫娘と一緒に町を脱出することに。

 自衛隊に追われて山の向こうに姿を現わしたトカゲ怪獣の姿に畏敬の念を感じた桃井らは、キャンプファイヤーに興じるにわか「難民」の宴をやめて、一斉に攻撃の中止を叫ぶ。が、そこへ流れ弾が直撃。原発の近所へ避難していた人々は全滅した。

 怪獣たちは日本を離れ、南西諸島付近で死んだ。残された人々はトカゲ怪獣の人形を作り、毎年、災厄の犠牲になった人々の慰霊をするために海へ流すのだった。

 とにかくトカゲと亀の二大怪獣は、CGシュミレーション上の矢印としてしか登場しない。怪獣が全然画面に登場しないのにいくら「怪獣映画」だと言われても観客としてはとても困る。

 だってさあ、何観てりゃいいのか全然分んないじゃん?客を戸惑わせるような映画作っちゃイカンよ、そもそも。

 おそらくは怪獣映画ファンへのオマージュという狙いもあったんだろうけど、どっこい、怪獣映画の客にとっては、こんな凝った作りに金かけるよか、星由里子や宝田明や本郷功次郎がチラっと顔出すくらいしてくれたほうがよっぽど「オマージュ」してるんである。ゆえに、本田博太郎はマル、だけどさ。

 要するに、このテの「もしも・・・したら」はドリフのコントで止めときゃ良かったのにね。

1999年10月16日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-31