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四谷怪談 前編 後編


■公開:1949年
■制作:松竹
■監督:木下恵介
■助監:
■脚本:舟橋和郎
■撮影:
■音楽:木下忠司
■美術:
■特撮:
■主演:上原謙
■寸評:


 嵐の晩、仲間に脱獄をそそのかし、自分は逃げずにちゃっかり減刑された盗賊の直助・滝沢修は、たまたま逃げそこなった小平・佐田啓二とともに早々に出所する。

 小平は遊女を身請けする金ほしさに盗みをして捕まったのだが、昔なじみの与茂七・宇野重吉の女房、お袖・田中絹代がその遊女に瓜二つの妹だと知り、居所を聞き出す。民谷伊右衛門・上原謙はさる大名屋敷の蔵番をしていたが、ある晩、土蔵破りにやられ士官先をクビになって以来、傘貼り浪人生活。

 女房の岩・田中絹代の流産で落胆していた伊右衛門が、神社の境内で、大商人の一文字屋の娘、お梅・山根寿子をやくざ者から助けた現場に偶然出くわした直助は、お梅が伊右衛門にぞっこんだと知ると、早速、一文字屋の女中・杉村春子をたらし込んで、伊右衛門はまだ独身だと嘘を教える。

 直助に、岩と別れれば、仕官できるとそそのかされた伊右衛門は、若いお梅にも惹かれたが、遊女あがりで気だての優しい岩にすがられ、いまいち踏ん切りがつかないでいた。直助は毒薬を手に入れて伊右衛門に渡すが、やはり岩の顔を見ると躊躇してしまう伊右衛門。じれた直助は、たまたま行水の熱湯で顔に火傷をした岩にインチキな塗り薬を渡し、二目と見られぬ顔にする。

 岩の崩れた顔に驚いた伊右衛門はついに毒薬の入った煎じ薬を岩に飲ませて殺害。そこへ、小平が現れる。小平が惚れていた遊女は岩だった。岩は伊右衛門を裏切らず小平は追い返されたのだが、直助と伊右衛門の話を立ち聞きして心配のあまり駆けつけたのだった。伊右衛門は小平を斬った。直助は按摩の宅悦とともに、岩と小平の死体を川に流した。

 お袖は胸騒ぎがして岩の家に向かう。岩のかけおちが原因で伊右衛門が行方をくらましたという噂を知ったお袖は、小平の老母・飯田蝶子とともに役人を呼び、家の中を調べてもらった。そこで大量の血のりを発見した岡っ引きの辰五郎は、さっそく探索を開始。

 伊右衛門はお梅と祝言をあげたが、良心の呵責に苛まれ、毎晩、岩の亡霊にうなされ刀を振り回して暴れたため、おびえたお梅は逃げ出してしまう。

 直助は、口止め料を宅悦にせびられて困り、伊右衛門を脅迫して借金証文を偽造し、一文字屋へ行くが、主人・三津田健に怪しまれた上に、直助に利用されたと知った女中に事情をバラされて失敗。

 焦った直助は宅悦を人気の無い山道で襲撃する。その夜、直助は伊右衛門に、裏木戸の鍵を開けさせ、一文字屋の土蔵から金を盗み出そうとするが、そこへ、女中の前夫、新吉・加東大介が現れる。彼は、直助が仕組んだ脱獄騒動の最中に役人に殺された仲間の仕返しに来たのだった。

 一文字屋の周囲は、役人が取り囲んでいた。瀕死の宅悦の証言から、岩と小平を殺害した犯人が伊右衛門で、直助も共犯であると断定した辰五郎が手配したのだった。

 お梅を探しに来た伊右衛門は、抵抗するお梅ともみ合ううちに、行灯を倒してしまう。火の手が上がる中、岩の亡霊を見た伊右衛門は、思わずお梅を突き飛ばしてしまうが、そのはずみに、お梅は顔面に大やけどを負う。自分が解役された原因となった泥棒の正体が直助だと知った伊右衛門が直助を惨殺。伊右衛門は、岩にわびながら焼け死んだ。

 文献によれば、制作当時はまだGHQの統制下ということで、いわゆる「チャンバラ」は御法度だったらしい。したがって、お袖さんもお岩さんも「父の仇」を狙っているわけでなく、平民の出身。妙に現代的というか、いわゆるモンスターパニック映画ではなくて、それなりにシリアスドラマになっている。

 男の目の前にイカす若い女と出世という餌がぶら下がっていて、すがる(辛気くさい)女房がいて、それが邪魔になって、そこへ女房の昔の男が、、、、これってよくある三角関係ってやつでしょ。

 本作品では、確かに特殊メイクの田中絹代は登場するが、それはほんの数秒。伊右衛門を精神的に追いつめるのは、もっぱら綺麗だった頃の田中絹代の回想シーンである。

 そしてなにはなくとも、上原謙だからこそ許された民谷伊右衛門である。多少は色香や立身出世に目が眩んだかもしれないが、結局のところは愛する妻を手にかけてしまった後悔に苦しみ続けて死んでいく二枚目。なんども躊躇する歯がゆさも、貴公子然とした上原謙なら全然オッケー。

 だって、ねえ、お岩さんが田中絹代ってのが凄いよね。普通、考えないもん。オバケだよ、おまけに顔はグズグズになるわ、髪は抜けるわ、、最悪じゃん。でもね、そこんところは上手なの。病弱で気の毒なお岩さんと、勝ち気なお袖さんの二役で、オプチカル合成のダブル田中のシーンもあって、ファンとしては大満足できるのでは?

1999年10月23日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-30