仇討 |
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■公開:1964年 |
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徳川も太平の世になっていた頃、さる藩で仇討ちが行われることになった。目付・三島雅夫は藩士の士気を高揚させるために、わざわざ会場をしつらえて古式に則った一大イベントに仕立てあげた。 事の発端はほんのささいな事だった。 武家の次男坊である新八・中村錦之助は馬廻り方として城の武器庫の手入れをしていた。そこへ通りかかった孫太夫・神山繁が槍の先に曇りを見つけ、手入れが悪いと嫌味を言う。これを耳にした新八は「些細なことで馬廻りの名誉を傷つけるな」と抗議した。 部屋住にタメ口をきかれた孫太夫は新八に決闘を申し込んだ。新八は正々堂々と勝負をし孫太夫を討った。孫太夫の弟、主馬・丹波哲郎は仇討ちしたいと父・加藤嘉に願うが、父は新八の兄・田村高廣と口裏をあわせ、両家の名誉に傷がつかぬよう、双方、乱心の末の惨劇だと目付に報告した。新八は狂人として所払いとなり、山寺に謹慎させられる。 臆病者と陰口を叩かれた主馬は一人で新八を斬りに行く。主馬と必死の対決の末に、新八は勝利する。 孫太夫と主馬の弟で末っ子・石立鉄男が家督を継ぐことになるが、同じ家の武士が二人も斬り殺されたという汚名を濯ぐため、末っ子は仇討ちをさせられる事になる。 寺にこもっていた新八は、二人の位牌の前で切腹するつもりだったが、末っ子の面子を守ってやるために、討たれてやる決心をする。幼い末っ子に怪我をさせてはならないと、新八は伝来の名刀を刃引きまでして、その日に備えた。 家督を死守するためには、どんな手を使ってでも末っ子に新八を討たせなくてはならない。新八が狂人とされていることに目をつけた末っ子の父親は、不測の事態に備えるという理由で6人の助太刀を用意する。そうとは知らない新八は尋常の勝負のために兄に連れられ寺を後にした。 仇討ちの場所に指定されている馬場には黒山の人だかりができていた。武士らしく静かに決着を付けるつもりだった新八は驚愕する。新八を心配した寺の住職・進藤英太郎はまるで公開処刑、なぶり殺し同然という藩の処置を怒った。平静を保とうとした新八は、野次馬根性で集まった百姓たちから、人殺しよばわりされ挙句に石を投げられた。 新八の願いはただ、かつてお互いに家督を継げない辛い身分を慰めあった末っ子に黙って討たれてやることだけだった。しかし、そんな願いも空しく、狂人がまともな勝負をするはずがないと主張する父親が手配した助太刀の一群が新八めがけて襲いかかった。 武士として戦うことも死ぬことも許されない、そのような仕打ちについに新八の怒りは爆発する。あらかたの助太刀を斬り殺した後、彼は一目散に家老のところへ走った。怯える彼等の前に立ちはだかったのは新八の兄だった。足軽や馬廻りたちによってメッタ斬りにされ虫の息の新八にトドメをさすはずの末っ子は、一人、号泣していた。 狂人の刃から上司を救った功労により新八の兄は出世した。後片付けの酒宴で、新八の許婚の父親・信欣三は苦い酒を飲みしたたかに酔っ払い、新八の兄を「弟を殺して出世した」と罵倒した。その兄に登城を告げに来た、新八の親友・小沢昭一は新八の骸の傍で自害している兄を発見するのだった。 太平の世になれば、戦乱の時代に必要とされていた、武士道はすでに過去の遺物だったわけで、別に侍や武士が消滅したのは明治維新のはるか昔であった、と言うわけだ。 リーサルウエポンである武士が家という制度に惨殺される様を描いている本作品。どうにもこうにも追い詰められて行く主人公のやり場の無い怒り、己の運命に抗し切れない末っ子の悲しみ、肉親を制度のために見殺しにせざるを得なかった兄の絶望。 確かに、組織として強くあろうとするためには、個人よりも制度やその帰属する団体が大切であるが、それが行きすぎれば、企業犯罪が生まれるのであり、その究極が戦争となる。法律であろうが宗教であろうが、人間性を犠牲にしてまで守るべき制度などあってはならない、ということか。 およそ現在の本人からは一番遠い形容詞と考えられる「ナイーヴ」な美少年の末っ子を演じるのは、石立鉄男。最初は誰だか分からないし、言われたって信じられないくらいの超美形。切れ長の目に初々しい口元、そしてなによりも削げたシャープな頬には色気すら感じられる。誰にでも若い頃はあったんだと言うこと、そしてそれは決して取り戻すことの出来ない美しい日々なのである。有為転変は世の習い、昔の人はイイ事言うねえ、って感じ? (1999年10月09日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-29