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悪魔の接吻


■公開:1959年
■制作:東宝
■監督:丸山誠治
■助監:
■脚本:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:河津清三郎
■寸評:で、誰が一番、悪魔でしょうか?


 妻の実家の資産で銀座に洋装店を経営する河津清三郎は、妻の異母姉妹であるバーのマダム・草笛光子と図って、住み込みの運転手・佐原健二と心中に見せかけて妻を殺そうとする。

 河津が自宅で絞殺した妻の死体を佐原が運転している配達用のワゴン車の乗せ、時限爆弾を仕掛けたまでは良かったが、そこへ姪の笹るみ子がちん入したことによって河津の計画は狂い始める。

 この娘、遊びほうけて帰宅するのが遅くなったというワガママな理由で、叔父である河津の自宅へずけずけと上がり込み、婿養子同然の弱い立場にある叔父をナメきってアゴでこきつかい、茶菓子を出せだのなんだの言いたい放題。挙げ句、河津が苦労して段取りした爆弾自動車で死のドライブに旅立つはずの佐原の車に便乗して、甲府にいる友達のところまで送れと言う。

 社長の親戚とあって無下にもできず、配達を頼まれた佐原が渋々車に乗っけてやったら、今度は腹が減ったから飯を食わせろと駄々をこねた笹るみ子は、立ち寄った食堂で金も持ってないのに喰いまくり、代金の替わりに配達途中の商品を食堂のオヤジ・谷晃に売りつけようとするのだった。

 ったく、トンでもねえ娘だぜ、と飽きれる佐原健二(と、観客)。そして、いくらなんでも罪もない少女を爆死させるほどの鉄面皮ではない河津清三郎は、警察に電話しようかどうしようかと真っ青になっていた。

 その、気の毒きわまりない河津は、様子を見に来た草笛光子に、な、なんと毒殺されてしまうのである。

 はい、ここでカンのよい皆さんはもうお解りですね。つまり草笛光子と佐原健二はグルだったんですね。

 妾腹であることから河津清三郎の妻にイビられまくった草笛光子は、河津をたらしこんで結婚を迫ったが気の弱い河津がなかなか決心しないので、ノミ屋・伊藤久哉を紹介し、競馬で多額の借金を作らせ、ニッチもサッチも行かない状況へ追い詰め、女房を殺しの計画を実行に移させた。

 しがない運転手だった佐原健二は社長夫人に多額の資産があることを証券会社の杉本・中丸忠雄から聞き出していた。そして同じ日陰者同士でウマが合った草笛光子と共謀し、社長夫妻を殺害したのだった。もちろん、警察はこの一件を無理心中事件として処理してしまった。

 ところが、ここで想像力が人一倍たくましく、単なる偶然から草笛光子の顔を見知っていた笹るみ子が、温厚そうな刑事・清水元にあれこれ告げ口したため、警察も捜査をやり直すことになって、、、。

 「本作品の結末は、未だご覧になっていないお友達や、ご家族にも決して話さないでください・制作者」

 うーん、ここまで丁寧にテロップされちゃあ書くわけにゃあいきませんなあ。たとえ「それほどのもんかあ?」と観終った後、つくづく思えたとしても、だ、やっぱミステリーのどんでん返しは、ひ、み、つ!がマナー。

 てなわけで、その言動がいちいちナマイキでしゃくにさわる、超トランジスタサイズの笹るみ子の動物的なカンによって、事件の真相がバレて追い詰められた犯人が自分でケジメをつけた、ということだけ書いておきましょう。

 ともかく加害者、被害者双方に程度の差こそあれ心に悪魔が宿った、というのがオチ。おまけに事件解決の糸口を見い出すのが小悪魔な笹るみ子。つまりは悪魔づくしだったってことですね。

 本作品は、金持ちのわがまま娘が他人様の役に立った数少ない事例として後世にまで語り継がれることでしょう、ってヘンなオチで恐縮です。

1999年12月23日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-27