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あの娘(こ)と僕 スイムスイムスイム


■公開:1965年
■制作:松竹
■監督:市村泰一
■助監:
■脚本:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:橋幸夫
■寸評:


 「毒にも薬にもならない」という言葉がある。それは「どうでもいい」という意味なのであるが、本作品のように、その「どうでもいい」加減が後世、なんとなく笑いをとってしまう場合が多いように思う。

 宗方勝巳は小さなボートハウスの経営者から身をおこし、今では葉山マリーナで恋人の清水まゆみ、後輩の橋幸夫とともに観光客相手に水上スキーのインストをやっている。新人アルバイトの香山美子は黄色いワンピースが似合う美人。

 浮かれ気味の香山に対し、橋は深刻な面持ちで「ひと夏の辛い思い出」を話してやるのだった。

 二年前の夏、赤いパラソルの下で知り合った夏佳子は真っ赤なセパレート水着を着ていた。彼女が置き忘れた赤いバンドの腕時計をホテルに届けた橋は、ちょっと高ビーな彼女に一目惚れ。深夜のドライブの後、清く別れた二人だったが、夏は突如、橋の前から姿を消してしまう。

 大金持ちの令嬢だった夏には、大銀行の御曹司というフィアンセがいたのだった。要するに二股かけられた橋幸夫、令嬢の秘書がいくら「お嬢様はマジ惚れだった」と慰めてくれても、それって単なるマリッジブルー?

 なーんだ要するにフラれただけじゃん?と言うようなデリカシーのない台詞を、心優しい香山が橋に叩き付けるわけもなく、これから「ひと夏の経験」(古い?)に内心ウキウキしている香山は橋の辛気くさい、っつうか未練がましい失恋物語を黙って聞いていてやるのだった。

 が、しかし。物語はそれだけでは終らない。

 なんと橋幸夫はその翌年、つまり2年連続で思いっきり失恋していたのだった。

 去年の夏、青いパラソルの下で知り合った桑野みゆきは淡いブルーのワンピース水着を着ていた。彼女もまたモーターボートに青いバンドの腕時計を置き忘れる。橋幸夫は、懲りずに近隣のホテルに電話をかけまくり、やっと探り出した桑野の宿泊先が、夏佳子と同じ部屋だったことにトラウマを刺激されまくったが、なーに、考えすぎさ!今度こそ!と自分に言い聞かせて出かけて行った。

 しかし、同じだった。桑野にモーションかけられて高原のホテルで一夜を過ごしたにもかかわらず、なーんにもしなかった橋幸夫の前に、突然、コワモテの河津清三郎が現われ、こともあろうに桑野が自分の情婦だと告げる。

 お嬢様にツマミ食いされたくらいならまだしも、今度は美人局かよ!と、観ているほうは、優男の橋幸夫に襲いかかった悲劇に同情しちゃったりなんかするのだが、ところがこの、河津パパは男気溢れる太っ腹(見た目にも)な人物で、桑野がどちらを選ぶか彼女の自由に任せようと提案する。

 豊富な資金力で桑野の親まで面倒看ている河津と、しがないフリーターの自分じゃあ勝負にならないのは当り前だが、それでもわずかなチャンスに賭けた橋幸夫はあっさりと桑野に捨てられるのだった。橋幸夫が去った後、河津パパの分厚い胸板に顔をうずめて若い橋幸夫との別れを悲しみ、さめざめと泣く桑野みゆき、なんなんだよこの女?

 懲りない馬鹿だわね、と言うような傷口に塩をすりこむような残酷な台詞を決して吐かない香山美子は、黄色いセパレート水着に着替えて傷心の橋幸夫を水上スキーに誘うのだった。「スイム・スイム・スイム」のBGMに気を取り直した橋は笑顔でボートを運転するのだった。

 しかしその未来に明るい展開を見い出す観客など一人もいなかった、、だろう、たぶん。

 男性優位の日本映画において、苟くも当時、大人気だった流行歌手に主役を張らせているにもかかわらず、二年連続で、悲惨にフラれる役どころに抜擢するという、制作者の意図はいかがなものか?

 赤青黄色という識別しやすいテーマカラーで年度の違いを表現する親切さは、セットやロケの費用をケチったという事実を観客に理解して貰おうという作り手の涙ぐましい努力の跡なのであって、決して批判の対象などにしてはイケナイ。

 橋幸夫に対して「こっちへいらっしゃい」「踊りなさいよ」と女王様ぶりを発揮する夏佳子、海千山千の桑野みゆき、一見優しそうだがカカア天下タイプの香山美子。女優さんたちがそれぞれ個性と水着姿を溌剌と発揮しているのも見どころ。

 しかしなんだね、この頃の松竹の映画って信じられないくらいダサいっつーか垢抜けないんだけど、どうしてこんなの作っちゃったんだろうかね。こういうのがボディーブローになって今に至ってんだろうなきっと。

1999年10月09日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-27