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ジェラシー・ゲーム


■公開:1982年
■制作:にっかつ
■監督:東陽一
■助監:
■脚本:田中晶子
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:夏木陽介
■寸評:


 夏木陽介がロマンポルノに出ると知ったときには腰を抜かしたな。品行方正でブイブイ言わせていた元所属会社のイメージ丸つぶれじゃんか!というわけだ。ま、中には「俺たちは銀座の地回り(東宝の本社は日比谷)だ」と吹聴して夜の街をブイブイ言わせていた輩(宝○明とか藤○悠)のもいたのだが。ま、それはさておき。

 北海道旅行をしていた二組のカップル。夏木陽介大信田礼子の中年夫婦は倦怠期、高橋ひとみ村上弘明のヤング(注:当時)カップルは婚約していたがいわゆるマリッジブルーという状態で、険悪な状況にある。

 たまたま出会った4人がお互いに相手を交換してジェラシー・ゲームを楽しもうという事になり、夏木と高橋はバイク、村上と大信田は乗用車で二手に分かれる。夏木は高橋を子供扱いしていたが、やはりそこはそれ、一つテントの中で過ごすわけだから、当然のように結ばれ、大信田と村上はお互いに遠慮しあいつつも、やはり、そこんところは二人とも大人であるから、、、。

 四人とも自分の本来のパートナーを気づかいつつ、途中で何度かアクシデントに見舞われたりするのだが、結局は元の鞘に収まりかけたところで、クライマックス。

 高橋に「妊娠した」と言われ、森の中のモーテルに彼女を置き去りした夏木陽介は、大信田と落ち合うために札幌のホテルへ。そこへ夏木が残した財布の金で悠々と高橋が到着する。焦る夏木に対して高橋は「ここで村上と会う予定」と告げる。その時、テレビのニュースが、札幌郊外で自動車事故があり、大信田と村上が死んだと報じた。

 やってることは子供だが当事者はみなイイトシこいた大人である。

 男はみな少年のようであり、少女の毛の生えたような高橋ひとみは海千山千の商売女の魅力で男を惑わし、一方、大信田礼子は無垢な少女のよう(肉体的な問題はひとまずおいておく)になり男に頼る。

 お互いに無いものねだりであるから、やがては夢から醒める。

 そのオチが交通事故ってのは唐突。ま、事故というのはいつでも唐突なもんですが。しかも大信田ねーさんが、運転中の村上坊やにキスしようと覆いかぶさったのが事故原因。その前に、中年男と少女のバイク事故(実は親子で人違い)という御丁寧な伏線あり。

 いやあ、元熱血高校教師とズベ公の夫婦ってのが凄いねえ。作り手もそのへんを上手に利用しているような気がしてくる。

 夫に父性を、妻に母性を、亭主および女房に若さを求めると往々にしてそれは悲劇になるのだが、それが「もし」実現したら、ということ。

 元青少年少女の夢物語、ただし賞味期限切れ。

1999年11月09日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-17