ろくでなし |
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■公開:1960年 |
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銀行家の三島雅夫の息子である川津裕介は、やがては父親の跡を継ぐ予定のブルジョワ青年。川津は彼の金離れのよさだけに群がる、貧乏学生の山下洵一郎、津川雅彦らと毎日を無為に過ごしていた。 三島の秘書で情婦でもある高千穂ひづるが銀行から帰ってくるところを待ち伏せていた川津たちは、彼女を車に押し込めて金を奪おうとする。ひきつる高千穂に「これはゲームだ」という川津。高千穂は彼等に「ろくでなし!」と言いはなった。しかし、高千穂は川津たちとは少しばかり雰囲気の違う津川に興味を持った。 高千穂は兄の安井昌二夫婦と同居していた。冷蔵庫の月賦をめぐって夫婦喧嘩が絶えないがそれなりに地道で幸せそうな二人。 父親の支配から逃れられず、悶々とした閉塞感に押つぶされそうになっていた川津は、金に困っていた山下の紹介で、血色の悪いやくざの佐藤慶から本物の拳銃と実弾を買った。 川津の父親の別荘がある伊豆で学生生活最後の夏休みを過ごしていた津川は、金を届けに来た高千穂から、仲間と別れる様に忠告を受ける。自分自身、このまま人生の目標を見い出せず、自立も出来ないのではないかを焦り始めていた津川は一人、東京へ戻った。 なにかまっとうな稼ぎ口を津川に世話しようと考えた高千穂は、彼を三島の銀行でアルバイトさせた。津川の身の回りの世話までしてやるようになった高千穂に対して、津川は息苦しさを感じはじめていた。 あちこちに借金をしてまわっていた山下が、高千穂から本気で現金を奪うためだと言って、川津のところへ拳銃を借りに来た。山下が去った後、川津は高千穂に、銀行へ行かないように連絡した。 しかし、高千穂はいつものとおり銀行へ行き、その途中で、山下に拳銃で脅され車に連れ込まれた。現金を奪った山下を、津川が制した。もみあううちに山下の拳銃が暴発、瀕死の重傷を負った津川は「どうせ俺はろくでなしだ」とつぶやいて高千穂の腕の中に崩れ落ちた。 ジャン・ポールベルモンド主演の「勝手にしやがれ」を観た人はここんところでピーンと来るわな。 パクったの?と素直に思ってしまうんだけど、文献によるとこの映画の制作時点では監督は「勝手にしやがれ」を観ていなかったのだ、とか?まあ、真実はどうでもイイとして、日仏問わずに時代がそういう雰囲気だったんだなあということで納得しておきましょう。 本作品の見所は津川雅彦の美貌である、と断言しますね私は。「女嫌い」の二枚目、現在では二倍近くに膨れ上った体躯でもって片っ端から女性を口説いたり、人生について説いたりする初老の不良になってしまった津川雅彦は昔ゃあこんなにカッコ良かったんよ、という見たまんまの感動もあるわけだが、コイツが仮に高品格のようなマスクだったら、この映画は成立しないのだ。 高品さんに失礼だぞ!なんだけど、でもやっぱそうでしょ?二枚目だから高千穂も肩入れしちゃったんだしぃ。悩める美男子というのはそれだけで絵になるもんなのよ、実際ね。 吉田監督って「美の美」で一発当てた人だもん、奇麗なものを撮らせたら上手いのよね。 フランス映画を見てごらんなさい。ファンファンとかジャン・マレーとかね。アラン・ドロンはね、ま、悪かないけど、ほら、見るからに育ちが悪そうじゃん?てかホモっぽいっつーか(関係ないけど)津川さんはね、いいとこの子でしょ?一見して。そういう人が、四畳半一間の汚い下宿にゴロンとなってたりすると、母性本能が刺激されちゃうわけなのよ、うん。 一途な若者の焦燥と自滅。モノクロームの画面にヒリヒリとした緊張感が、最小限の台詞で伝わってくる。 バブルの頃はこんな映画に共感する人は少なかったかもしれないけど、今みたいに「先行き不透明」な時代なら、本作品を見ていろいろと物憂く考えちゃったり、共感しちゃったりする観客が多いのでは? 非行少年なんて特別じゃなくなった時代。無職の大人が危ないのは時代を問わないのだよ、だから、死に物狂いで働け!しかもマトモに。 和製プレスリー(ほか、本郷直樹とか)と呼ばれた佐々木功の熱唱プレミアあり。ちなみに本作品が銀幕デビュー。 (1999年10月23日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-17