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いれずみ突撃隊


■公開:1964年
■制作:東映
■監督:石井輝男
■助監:
■脚本:石井輝男
■撮影:
■音楽:八木正生
■美術:
■主演:高倉健
■寸評:東映の「独立愚連隊」


 日中戦争の最中、浅草出身の衆木一等兵・高倉健はイレズミ者で、応召されたてもその暴れん坊な性格はまったく変わらずもてあまされて内地の部隊をたらいまわしにされた後、南支那の最前線に送り込まれる。

 隊長の安川・杉浦直樹が浅草の地廻りの二代目組長と知って意気投合した高倉健は、気の強い慰安婦・朝丘雪路と知り合うが、朝丘に片思いの准将・安部徹が二人の仲を妬んで意地悪をしてくる。古参兵・日尾孝司潮健児のリンチや、懲罰に屈しない高倉健の堂々とした態度は兵隊たちの人気を集める。

 杉浦直樹が転属になり、安部徹の横暴はますますひどくなった。安部は、八路軍の陣地を横断して重機関銃を運ぶ危険な任務を高倉健、初年兵・津川雅彦、今井・春風亭柳朝、押本・砂塚秀夫らに命じる。古参兵にイビられているところを高倉健に助けてもらった津川雅彦は、なんとか恩返しをしようと重たい銃芯部を運んでいて敵兵に銃撃され命を落とす。

 津川の墓の前で朝丘から愛を告白された高倉健が、童貞のまま死んでしまった津川に義理立てして、朝丘から口づけされた後、唇を拭ったため、朝丘は自分が嫌われているのだと思い込んでしまう。

 朝丘を独占したい安部徹は朝丘以外の慰安婦、東北出身でがめつい三原葉子、名古屋弁の殿岡ハツエらと高倉健を杉浦のいる部隊に転属させる。乗馬と馬車で移動中、後を追ってきた朝丘を見つけた高倉と、朝丘を追跡してきた安部徹が対決。

 そこを八路軍に急襲され安部が射殺され、朝丘もまきぞえで負傷。命からがら杉浦のいる部隊に到着したが、そこにも八路軍の大軍勢が押し寄せてきた。杉浦は、非戦闘員である慰安婦を先に避難させようとしたが、朝丘は重体のため動かせない。看病のために殿岡ハツエが残ることになった。

 出発の日、馬車から飛び降りた三原葉子も部隊に残り、食料庫をやられて飢餓状態になりかかった負傷兵のために、大切にしまっておいた紙幣を燃やしておかゆを作ってやる。慰安婦たちの心意気に感動した負傷兵たちは、貴重なおかゆを前線の兵隊に食わせてやってくれと頼む。三原は泣きながら歌を歌って負傷兵を慰めるのだった。

 朝丘は高倉健に看取られて死んだ。

 八路軍の攻撃は激しくなるばかり。次々に仲間が倒れて行く。とうとうたった一人残った高倉健は体にダイナマイトをまきつけてフンドシ一丁となり敵陣へ突っ込み壮絶な最期を遂げた。

 どうもどこかで見たことのある風景だなあと思っていたら、本作品のオープンセットはすぐそばで東宝がロケしていたという御殿場に作られたのだった。ちょうど「蟻地獄作戦」の頃だね、きっと。

 「男と女の心意気」がいっぱいつまった本作品。キャラクター毎のエピソードが丁寧なのもこの作り手の好きなところだ。

 杉浦直樹が高倉健の彫り物を誉めて、一度見てみたいと言いながら死んでしまうのだが、杉浦の体にも立派な龍のイレズミがあることが、最期の最期にチラっと見える。金勘定に細かい三原葉子は、自分の店をもつために頑張ってるんだとばかり思っていたら、これも死ぬ寸前に金を高倉健に預けて故郷の母を心配して死ぬ。

 慰安所でどっちが先にヤるかで高倉健とモメた大男の兵隊・大前均。殿岡ハツエは、玉砕覚悟の一戦の前夜、彼等を慰めるために体を与える。大前は感激して、他の兵隊に順番を譲ろうとするのだが、みんなにエールを送られながら草むらに消える。

 こういうのグッと来ちゃうのよね、私。戦地でさ、人間、極限状況になったらペシャンコになっちゃうでしょ?普通は。こんなメチャクチャな状況なのに、気持ちがね、シャンとしていられる人間ってそうはいないでしょう? 従軍慰安婦の描き方についてもね、人間として一番しちゃいけない行為は血の通った者を「道具(モノ)」として扱うことなんであって、体売るとか売らないとか、ヤるとかヤらないとか、そういう行為そのものじゃないのよ本質は。

 岡本喜八監督作品はすごくモダンだったけど、石井輝男監督のほうはかなり浪花節、監督の個性の違いを楽しむべし。

1999年11月30日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16