土俵祭 |
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■公開:1944年 |
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明治の初め、鹿鳴館のまきおこした西洋ブームのおかげで、大相撲は野蛮であると非難を浴びる。そんな時、相撲取りになろうと決心した竜吉・片岡千恵蔵は、黒雲部屋へ入門する。そこのお嬢さん・市川春代は、部屋の筆頭力士の大綱・山口勇に苛められる竜吉になにくれとなく世話を焼いてくれる。 お嬢さんの父親である親方としては大綱と娘を添わせて部屋を継いで貰いたいのだが、娘はイマイチ気乗りがしない。大綱も「大関にならなきゃ娘をくれないんでしょ?」なんて親方にブータレる胆の太い奴である。勝つためには手段を選ばないような大綱よりは心の優しい竜吉にちょっとホの字のお嬢さん、なのであった。 黒雲部屋とはライヴァル関係にある白玉部屋は親方が病弱で勢いこそなかったが、そこの筆頭力士の玉ヶ藤は大綱にイジめられている竜吉の稽古を巡業先でつけてやって以来、すっかり竜吉が気に入っていた。シコ名を富士ノ山とした竜吉は、親方の看病疲れのため怪我をしてしまい引退を余儀なくされた玉ヶ藤に請われて白玉部屋へ移籍する。 白玉部屋に移ってからメキメキと腕を上げた富士ノ山は大綱のタニマチから八百長まがいの依頼を受けるがこれを拒否する。帰り道、たまたま富士ノ山が芸者と一緒に人力車に乗るところを目撃してしまったお嬢さんは、失恋したと思い込み、父親がもってきた縁談を承諾してしまう。 大綱との大事な一戦の前、にわか雨に難渋していた芸者を車で送ってやっただけだと富士ノ山から打ち明けられたお嬢さんであったが、全ては後の祭。大綱との対戦に見事勝利した富士ノ山は立派な横綱になった。 爽やかな映画である。たとえ顔がうっとうしいくらいに大きな千恵蔵が主演していても(?)全然、気にならない。周りがみーんな昔の人の体型なので目立たない「だけ」なのかもしれないが。 仇役の大綱も決して悪い人物なのではない。八百長を依頼したタニマチに「余計な事をしてくれた」と諭し「そんな事をしないと勝てないと思っている」ファンを諌める、ナカナカ男らしいところを見せる。人間的な品格の欠如を指摘する親方に対しては「勝ちゃあいいんでしょう」と言い返す。人前に出て金を頂く職業的な「立派さ」よりも、「勝ってナンボ」のプロ根性を優先しているだけなのだ。 だが、大綱よ、そんなこっちゃあ相撲には勝てても女にはモテないぞ。 大綱との大一番、勝った富士ノ山との別離の時。お嬢さんは相撲を観に来た若衆に頼んで「日本一」とかけ声をかえてもらう。万感の思いでいる土俵の上の千恵蔵と、別れの言葉の代わりにエールを送るお嬢さんの心根のいじらしさ。あだち充のラブコメの原点がここにある、、、わけないだろうけど「スポーツもの」ってのも時代劇同様、ある種の普遍性に満ちているもんだなあ、と再確認。 骨太、豪快と評される黒澤監督の作品だけど、その脚本の台詞はいつでも繊細で洒落ている。まるで落語を聞いているようだ。監督の丸根賛太郎については詳しくないが、この一作に関して言えば、盛り上げ方がやたらと上手い。ラストのお嬢さんの思い詰めた表情がカットインされる大一番のシーンは、思わずのめり込んでしまうほどグイグイ迫ってくる。 良い脚本と良い演出。これ以上何を望むというのかね?え?千恵蔵がお馬鹿っぽい?黙っていても偉そうな、魔除けの彫刻みたいになった晩年の千恵蔵しか見たことないというそこの君、偉そうにしないスポーツマンな千恵蔵なんて珍しいじゃないか、それだけでも感動しなさい。 昔の日本映画は暗くてダルイから、なんてアッサリと言いなさんな。こういう単純でスカっとする映画もちゃんとあるんだからさ。 (1999年07月12日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16