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限りなく透明に近いブルー


■公開:1979年
■制作:キティフィルム
■監督:村上龍
■助監:
■脚本:村上龍
■原作:村上龍
■撮影:
■音楽:
■美術:
■特撮:
■主演:三田村邦彦
■寸評:


 東京の立川というところにある米軍基地の近くで麻薬パーティーを開いている主人公・三田村邦彦。彼の周りには彼と同様にヤク中の若者がたむろしている。皆、何をするでもなく、グダグダしているだけ。三田村邦彦は、米兵との間に一女をもうけたバーのマダム・中山麻里に惚れている。彼女はヒロポン中毒であり今も基地の米兵と寝ている。

 ある日、三田村のアパートに巡査がやって来る。若い巡査にとっては同年代のイイ歳こいた若いモンが真っ昼間からラリラリしていて面白いわけがなく、中年の巡査・小松方正にとっては説教の餌食にちょうど良いのであった。乱交と薬物漬けの日々の中で、三田村は中山に真剣に求婚するが、中山の恋人を自称する米兵にこてんぱんに叩きのめされる。

 ラリった沖縄出身の青年が誤って焼死する。彼の恋人は別の仲間・斉藤晴彦と寝たが、彼とは一緒に沖縄に行くことを約束していた。しかし、警察に取り調べを受けた彼女は、青年の名前すら知らないのだった。

 毎日毎日、んなことばっかやっていたら薬で体が腐るか、心が腐るかするのは当然の結果であって、やがて一人、また一人と三田村のアパートから去って行く。三田村もまた中山と決別し、一人で早朝の道路をダッシュするのであった。

 小汚い映画である。じゃあその汚さが芸の域まで達しているかと言うとこれがそうでもない。ただただ薄汚なくだらしがないのである。生活力はないがとりあえず存在するだけ、という感じの彼等にはヴァイタリティーのかけらも感じられない。

 原作はきっと面白いんだろう。私は本は読まないが文章は書くという、勉強しないで学校の先生やってるようなとてもいいかげんな人間なので、原作の良さは分からないが、たぶんとってもアタック力がつよくてイカしているんだろう。

 そも、ヤク中のラリパッパというものは、夢うつつで想像するから面白いのであって、決してトリップしている現実の実物が素敵なわきゃねーだろ、ということだ。それを映像にすると目もあてらんなくなっちゃうから、きっとデリカシーのある村上監督としてはキレイキレイに描こうとしてなんだかフワフワした怠惰な映画に結果的になっただけ、と察する。

 クスリでふらふらになってもカッコイイ男やイイ女というのは難しいね。まあ三田村邦彦と中山麻里がこの後、結婚して派手に離婚するという未来を知っている現代の客としてはそれなりに楽しめる。それって邪道?

 ちなみに薬物を不法に摂取するにあたり必要な知識はいろいろと網羅されているようなので、長い人生のうち、いつかそういうことに遭遇するかもしれないと予感される人には勉強になるのではないか(するな、するな)。

 たいていの場合、大人になると「しがらみ」に縛られまくるので、そんな時に、ああ、こういう何も待たない、何も期待しない、何も欲しがらないという人生もイイかもしれないな、と憧憬の的として本作品を観るのが正しい作法かも。

1999年07月19日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16