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鬼の棲む館


■公開:1969年
■制作:大映
■監督:三隅研二
■助監:
■脚本:
■撮影:宮川一夫
■音楽:伊福部昭
■美術:
■主演:勝新太郎
■寸評:


 南北朝時代、戦乱の続く都。先祖代々の荘園を失い、身をもち来ずして都へ出て白拍子(遊女)の愛染・新珠三千代と駆け落ちした太郎・勝新太郎が隠れ棲んでいた荒れ寺に太郎の妻、楓・高峰秀子が訪ねてくる。楓の目の前でも平気でイチャイチャする愛染に対して、狼狽し不機嫌になる太郎。しかし、楓はそのまま居着いてしまう。

 冬になり食べるものが無くなって、当たり散らす愛染の頼みを聞き入れ、太郎は都へ追いはぎに出かける。太郎の留守中、高野山の上人・佐藤慶が一夜の宿を求めてやって来た。楓は、荒れ寺に住んでいたのは自分と太郎で、都を落ちのびてきた愛染が後からやってきて夫を寝取ったと、上人に嘘の身の上話をする。

 ところが愛染は黙って聞き流すのだった。実は上人は元貴族で、愛染をめぐって親友を殺し、その罪の意識から仏門に入ったという、愛染とはいわく因縁のあった仲なのだった。そこへ戻ってきた太郎に説教をする上人。怒った太郎が斬りかかろうとすると、上人は法力で、持っていた黄金の仏像から光を発し、太郎を圧倒する。

 愛染は自分の色香で上人を惑わしたら自分の勝ちだと言って、上人と本堂にこもる。最初は拒み続けていた上人だったがついに愛染を抱いてしまう。全裸で勝ち誇る愛染の足元で、上人は舌を噛み切って自害する。死者に唾を吐く愛染の姿を見た太郎は、彼女を斬り捨てる。

 憎い愛妾が死に、夫を取り戻したと思った楓だったが、愛染を心から好いていた太郎は仏門に入る決心をして高野山を目指し旅立つのだった。

 犯罪者の中には人をあやめた後、その殺した相手が「夢枕に立つ」と言って自首してくる場合が結構多いという。これは人間の罪の意識によるものだ。本作品の太郎は実際に人を殺し食い物を奪う。恐怖におびえた被害者の断末魔の声を聞く。

 一方、館にこもっている愛染は奪ったものをただ食っているだけだ。愛染は太郎をそそのかす「善意?の第三者」なわけで、実際に手を下しているわけではないから罪の意識はまるで無い。正妻の楓も同様である。したがって、仏罰に怯えたのは太郎だけだったのである。

 太郎は怪力で性質の荒い、見た目もまさしく鬼である。鬼は神を畏れない。従って、愛染は神仏の畏れを知らなかったから、彼女も鬼である。楓もまた、夫を奪った同姓への復讐に精魂を傾けた鬼であった。

 この映画には三人の鬼が描かれている。そこへさまよい込んだ上人もまた、過去に心が鬼になった経験のある者だったから、主たる登場人物は全員、鬼であった。

 太郎が心を直し、仏門に帰依するところでこの映画は終るのであるが、憎い愛染を殺してほくそ笑むはずの楓の表情が最後に歪む。彼女の希望は愛染の抹殺ではなく夫の奪回であったからだ。悪いのは男だが、惚れた弱みで、彼女の憎しみは自分に無い若さと美貌をもった愛染へ向いていた。愛染はいなくなったが、夫の心はついに取り戻せなかった、苦い勝利なのである。

 太郎と愛染の愛欲シーン。いきなり画面にどどーんと女性の乳首までクッキリ出て来るのでビックリ!おまけに、上人を篭絡した愛染が本堂の階段付近で薄絹をまとい全裸のシルエットで高笑いの勝利宣言!なんか奔放っちゅうよりただの淫乱じゃん?ってこういうのを新珠三千代本人が演ったらものすごい衝撃だったろうけど、どう考えても吹き替えだった。

1999年09月13日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16