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怪談 千鳥ヶ淵 薄雪太夫より


■公開:1956年
■制作:東映
■監督:小石栄一
■助監:
■脚本:マキノ雅弘
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:中村錦之助
■寸評:モテすぎるのも困りもの。


 呉服屋の手代、美之介・中村錦之助は伏見の薄雪太夫・千原しのぶと千鳥ヶ淵で心中するが、一人だけ命を取り止めてしまう。自責の念にかられた美之介は何度も自害しようとするが果たせず、3年の月日が流れた。

 錦之助は母・浪花千栄子の尽力により呉服屋・吉田義夫の手代としてまた働かせてもらえるようになる。花見の夜、酔った旗本の侍たちにからまれていた大店の一人娘・若水美子に薄雪太夫の面影を見て無我夢中で助けた美之介は、彼女に一目惚れされる。

 薄雪太夫のことが忘れられない美之介は若水の父親・明石潮に縁談を断わろうとしたが、呉服屋への恩義と母に心配をかけたくないという思いから渋々承諾する。

 婚礼の夜、寝室に現われた薄雪太夫の亡霊におびえた美之介は若水と初夜を迎えることができなかった。夫婦の営みが無いのは緊張のせいだろうと気を効かせた義父は、商家の若旦那たちに美之介を芸者遊びに誘わせるが、美之介はますます薄雪を思い出して落ち込んでしまう。

 このまま芸者と浮気でもすれば美之介の離縁は確実だろうと企んだ若旦那たちは、酔った美之介を伏見へ連れ出す。偶然、一行が上がったのはかつて薄雪太夫がいたお茶屋だった。その店では雪の降る晩には、この世に未練を残した薄雪太夫が黒髪の舞いを舞うという噂があった。

 美之介は何者かに導かれるようにフラフラと開かずの間にたどり着く。そこはかつて薄雪太夫の部屋だった。美之介の前に忽然と現われた薄雪太夫は今度こそ永遠に一緒にいたいと懇願する。自分の事を心底思ってくれている新妻や母への遠慮から一旦は躊躇した美之介であったが、薄雪への思慕はたち難く、二人はついに千鳥ヶ淵に沈んでしまった。

 灯篭流しをしていた子供が心中未遂の二人の死体を発見するファーストシーンが、映画のエンディングを暗示させる構成になっている。

 この映画は全編、錦之助が演じる主人公の夢想物語という趣向だ。

 恋に身を焦がして我を忘れる男性主人公なんて軟弱馬鹿と紙一重であるから、こういうのは本気で取りつかれたように演らないといけないんで、その点、憑依型役者の神様的存在の錦之助はハマリにハマってる。

 若水美子演じる一人娘はなかなか現代的で、美之介以外の人とは結婚しないとハッキリと物を言う。しかしなかなかモーションをかけてくれない旦那にヤキモキしちゃう可愛いところもある。

 薄雪太夫の千原しのぶは博多人形と見間違えるほどの日本美人で、こちらは必死に美之介にすがって、とうとうあの世へ引きづり込む。

 この二人に、さらに息子を溺愛する浪花千栄子が加わる。

 純情と情念と母性。この映画は悩める男の姿を描きつつ、恋愛感情の3つの形態を描いている。うーん、モテモテだねえ錦之助!なんて羨ましがってる場合ではなく、これじゃあ身体がもたないのも当然か。彼女たちの想いが重すぎて沈んでしまった、というオチなわけね。

 ドラマの部分が十分に見応えがあって、幽霊が出てくるところはとても少ない。だからこの映画を怪談映画と呼ぶのは間違いなんじゃないかと思う。幽玄の美を堪能できるメロドラマ時代劇とでもしたほうがイイんじゃないかな。

 本作品の千原しのぶって怖〜い。普段がやたらと奇麗だから余計にね、眉墨の端をちょいと跳ねさせただけでスゲー怖いのよ表情が。でもさあ、どうせ出てきて貰うなら美人の幽霊のほうがグーだよね。あの世へ引っぱられない程度にちょくちょく出てきてくれりゃあいいのにね、ってそれじゃ落語だな。

1999年08月03日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16