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ホーホケキョ となりの山田くん


■公開:1999年
■制作:松竹、スタジオジブリ
■監督:高畑勲
■助監:
■脚本:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:朝丘雪路(声)
■寸評:


 エンドマークが出た時、隣の席に座ってたOLさん、泣いてたよ。

 山田くんの一家は、お父さん・益岡徹、お母さん・朝丘雪路、おばあさん、兄、妹、という5人家族。この一家に起こる日常些末な出来事が絵日記にのように描かれていく。

 ちゃぶ台があって、テレビが一台しかなくて、ものほし竿に洗濯もの吊して、こたつがあって、、。

 「サザエさん」も「ちびまる子ちゃん」も作者が女性ってところがミソなのよね。共通しているのは「お父さん」に対する厳しいチェック。尊敬や反発や愛情はあっても同情だけは絶対に感じられないの。つまりね、女の子にとって「お父さん」は同情されるようじゃ絶対にダメなの。

 「山田くん」には男性である作者の「お父さん」への親愛が感じられたの。こう考えると、家庭や家族というものを描くとき、男性のほうがバランスがとれてるような気がする。感情で見ないで、機能で考えてるからなんだろうね、きっと。どっちが好きかは趣味の問題かもしらんけどさ。

 まさしくどこにでもありそうな家族、なのにどこにも無い家族、誰が見てもなんとなく「あったらいいな」と思える家族。

 この映画、全然期待しないで観に行ったのだが正直な話、驚いた。

 正味2時間弱がまったく気にならない。宇宙船も、怪獣も、生首も、おっぱいも、全然出てこない(いつもそういうのばっか観てるから、、)のに、ケツが痛くなったり、時計チラチラ見たりする気にならない。アニメで最初から最後まで飽きなかった作品は、実はこれが初めてなんすよ。

 「もののけ姫」なんて30分くらいしたら退屈になっちゃったもん。

 なんでこんな面白いんだ?気がついたらホロリとしちゃうんだ?もしかしてサブリミナルで何か「見え」てんのか?と、そこまで疑いたくなったね。

 家族があたりまえのようにお互いを心配して、適当にわがままで、それでも一生懸命ってのがイイんだろうね。描き手にそういう人達を見下さない視線があるのね、つまり、客を見下してないのよ。説教垂れようとか、つましきものは美しきかな、みたいな偽善的な性根の悪さがない。

 この映画が「泣かせる」のは別に展開されているドラマが悲しいからではないの、誰しもが経験している「トラウマ」で泣かせる。失ったものへの憧憬や後悔。ここがね、昨今の登場人物が泣きまくって客がもらい泣きするパターンと大きく異なる。そう、私が大好きな「役者泣かすな、客泣かせ」が堪能できるわけ。

 いろんなエピソードがあるけど、ここで注目したいのは観客が「泣く」シーンがずれてること。たとえば、私がグッと来たのは、おばあさんが入院している友達・中村玉緒のところへ見舞に行くところ。友達は病院の食堂や屋上を楽しそうに案内してくれる。で、最後におばあさんが「どこが悪いんや?」と聞くと、何も言わずに友達が泣き崩れる。

 次のシーンでは家に戻ったおばあさんが新聞を読んでる。外はもう暗いから蛍光灯をつけようか?と、お母さんが言うと「あ、もうこんなに暗いのか」っておばあさんがボソっと言うの。

 隣の席のOLさんはね、お父さんの結婚式のスピーチで泣いてた。「人間あきらめが肝心です」「ま、しゃーないか、とあきらめなければ夫婦なんてやっていけませんよ」ってところ。

 ちょっと心配、、、。

 人間って単純なのよ、結局は。こうすりゃ泣くっていうポイントなんてのは、あんまり進歩しないんだよね。ステロタイプなんだよ、それでイイのよ、実際は。昭和30年代の後半に生まれた私がギリギリセーフじゃないかしら?こういう「琴線に触れる」シーンで泣けるのは。

1999年07月19日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16