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お役者変化捕物帖 弁天屋敷


■公開:1961年
■制作:第二東映
■監督:河野寿一
■助監:
■脚本:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:高田浩吉
■寸評:知らない人についていってはいけませんよ。


 人気役者の花村市之丞・高田浩吉の押絵羽子板は若い娘の間で大人気。どこもかしこも売り切れで、縁日は羽子板を求めるギャルで大騒ぎ。そんな中、怪しい若い男が「羽子板を分けてやる」と言って大店の娘をだまして誘拐しようとする。

 知らない人について行くのはなにもガキばかりとは限らないんですな。今なら「宇多田ヒカルのチケットあげるよ」というところか、それじゃダフ屋だけど、まあ、いい。

 そこへ躍り出た番頭が娘を逃がそうとして何者かに殺された。偶然、現場を目撃したのが「よろずもめごと解決」を看板にしている、浪人のお役者一平・高田浩吉(二役)。彼の自宅兼、事務所にはいちいちカンにさわる町娘・花園ひろみと、職人的な粗忽者の若衆・星十郎が、まるで老けた少年探偵団のように、働いているんだかなんだかよく分からない状態で出入りしている。

 一平は近隣の芸者衆にも大人気の色男で、フリーランスという立場を警察サイド(町方)にも重宝されており、錦絵のような顔をしたイケメンの与力・黒川弥太郎ともお友達。事件のカギが、船奉行の屋敷にあるとにらんだ与力は、一平に調査を依頼する。

 大小を腰に差しているとは言え、フリーターのごとき一般民間人に刑事事件の解決をゆだねる警察、というのもどうかと思うが、まあ、いい。

 武家屋敷専門の泥棒・品川隆二が、船奉行の屋敷にある弁天堂に若い女が幽閉されているらしいと言う。船奉行は廻船問屋・沢村宗之助と組んで、羽子板につられた町娘を海外へ売り飛ばそうとしていたのだった。殺された番頭は廻船問屋の手代で、主人の悪だくみに荷担していたが、恋人までターゲットにされたので、命懸けで裏切ったのだった。

 一平は自分と瓜二つの市之丞に協力を頼み、廻船問屋へ挨拶にむかわせ、ごひいき筋の義理立てを理由に船奉行の屋敷を訪問するという約束をさせる。一平はひそかに泥棒を屋敷に忍び来ませておき、市之丞に化けたて表門から堂々と訪問し悪人どもに正体をあかして大暴れして注意を引きつけ、その間に泥棒に娘たちを救出させた。一平に追われた船奉行の一味はついにご用となるのであった。

 東映の娯楽時代劇に共通するテーマは「心意気」である。

 悪玉サイドが一人残らず金のために他人の人生を踏みにじるのに対し、善玉サイドは無償の心意気でこれを粉砕するのだ。これを見て鼻白んじゃあイカンよなあ。

 当時、高田浩吉が50歳だったと知った時はかなり驚いた。姿形がいくら若々しくても内容的には老けるのが普通の人間だと思うのだが、この人は気も外見も特殊メイクもCGもなにも使わないのに、どう考えても三十代かそこらの、アンちゃんにしか見えないのである。

 毒も臭みも無く、万事健康的なチャンバラ映画。お子様ランチをそのまま大人にスライドさせたのような時代劇の流れではあるのだが、実際、観客の年齢層もかなり幅広かったのではないか。とにかく高田浩吉のファンサービスはとても熱心であり、娯楽量産時代劇だからというブータレな手抜きは一切無し。苦労人らしい生真面目さや、自分のキャラクターである「万年青年」を懸命に演じる姿は、見るほうとしては実に清々しくて楽しい。

 多くのファンにとってのスタアは永遠に老けて欲しくないものだ。しかしながら多くのスタアは老けた後は演技派という、批評家先生たちのウケが良いほうへ転向するのだが、高田浩吉は本作品のように延々と「若さ」を演じ続け、さらに老けても主役が張れる舞台に転身して「若々しく」あり続けた。

 そのスタアの絶頂期とシンクロした世代のファンの夢を一生、守り続けたわけだ。本作品は高田浩吉の心意気そのものだ。

1999年08月26日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16