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吶喊(とっかん)


■公開:1975年
■制作:喜八プロ、ATG
■監督:岡本喜八
■助監:
■脚本:岡本喜八
■原作:
■撮影:木村大作
■音楽:
■美術:
■主演:伊藤敏孝
■寸評:


 吶喊(とっかん):まず息を止め次いで爆発的に大声をあげる意。

 百歳になろうかと思われる、老婆・坂本九が餅を焼ながら、ある若者の昔話を始める。

 戊辰戦争の頃。貧乏で巨根で童貞でブサイクな百姓の千太・伊藤敏孝は、偶然知り合った新撰組の土方・仲代達矢の「時代に逆らって生きる」と言う言葉にわけもわからず感動する。そのころ仙台藩の参謀・岸田森と対立した藩士の十太夫・高橋悦史は、敗走する藩の軍勢と民百姓を官軍から最後まで守り抜いて死んだやくざの親分・堺左千夫の遺志を継ぎ、彼の子分・丹波義隆や、元やくざで今は蕎麦やの親父・今福正雄、それに千太らとともに「からす組」というパルチザンを結成する。

 仙台領地を官軍から守るために、若い血をもてあました千太たちはまさに獅子奮迅の活躍をする。ところが仙台藩は一向に援軍をよこさない。怒った十太夫が参謀本部へ談判しに行った隙に、参謀の副官、瀬尾・大木庄司によって斥候に狩り出されたからす組の仲間が殺された。悲しみに暮れる千太たちだったが、ジジイの猟師・天本英世が一発で手傷を負わせた官軍の指揮官、松田・小野寺昭のことは「手向かえない奴は殺さない」と助けてやる。

 千太は偶然出会った女郎、テル・千波恵美子を相手に童貞を捨てる。千太はテルの身の上に同情し、仙台藩の密使を撃ち殺した官軍の密偵、万次郎・岡田裕介がもらった報奨金を奪って彼女を身受けしてやる。

 時代に逆らって生きる千太は、最初は戦争を楽しんでいたが、女郎を犯して惨殺したり、見せしめに少年兵の男根を切り取る非道で残虐な官軍を心から憎むようになる。時代に乗って甘い汁を吸おうとしていた万次郎はその官軍に雇われながら、彼等の軍資金を狙っていた。

 官軍が大切にしている「錦の御旗」を見たがっていた千太は万次郎にそそのかされて、官軍の本陣へ忍び込んだがあえなく捕えられた。その間に大金を奪って逃げようとした万次郎は、官軍に殺された兵士の無残な死体を見て、千太がかわいそうになり彼を救おうと官軍の前に躍り出た。そんな二人を助けてくれたのはかつて命を助けてやった松田であった。

 仙台藩はついに降伏した。これを面白くないと思った瀬尾は、腹いせに生き残ったからす組を官軍に差し向け全滅寸前にした。謝罪の使者が出た夜、十太夫と千太は酒盛りをしていた瀬尾を暗殺した。万次郎と千太は官軍から奪った金を掘り出しに行く途中で会津の敗残兵に出会う。隊長・田中邦衛から官軍のめくらましのために獅子舞を踊るように強制された二人は、命からがら落城寸前の彼等の居城にたどりつく。そこで離れ離れになっていたテルと再会した千太は、激しい爆撃の中、テルを力一杯抱きしめた。

 老婆の話はここで終った。

 本作品を見たらどうしても思い出すのが「日本のいちばん長い日」と「肉弾」である。本作品を含めたこの3本はシリーズ作のような気がする。「日本の〜」ではあの戦争を起こした男たち、「肉弾」ではあの戦争で死んだ男たち、そして「吶喊」ではあの戦争で生き残った男たちが描かれてる。

 「独立愚連隊」では軍旗だったが、ここでは「錦御旗」である。しかもコレの正体が、官軍の大将の情婦の着物でできていた、というのだ。ああなんてバカバカしいんだろう。官軍のやることが残虐非道をきわめているのも「あの戦争」とまったく同じ。

 佐藤允よりも三船敏郎よりも寺田農よりも、どの作品のどの主人公よりもパワフルで共感できる主人公、それが本作品の千太、伊藤敏孝。なんてったって馬鹿なんだもん、コイツ。大きな時代のうねり、生きるか死ぬかの瀬戸際でコイツが持っているのは、鍛えられた精神と精力のみ。ただそれだけを頼みに、敵と女にツッコンでいく姿の清々しさ。この映画に出てくる千太の仲間の男と女はみんなものすごく気持ちが良くて涙出る。

 そして最後に九ちゃんは言うのだ。「千太の子供は戦で死んじゃあ、生まれ、また死んで、また生まれ、、」人間はいつまでたっても懲りない生きモノなんだと、作り手は泣きながら怒っている。作り手がいとおしんでいるモノ、それは戦で死んだ仲間の命。「仮名手本忠臣蔵」が時のお上に畏れ多いという理由で生まれたように、一気に時代を百年前にしたおかげで、誰に遠慮すること無く、監督が追い求めた「あの戦争」に対する思い入れがストレートに伝わってくる作品。

1999年06月25日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16