動脈列島 |
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■公開:1975年 |
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怪獣に壊されまくる東京タワー同様、新幹線もフィクションの世界では災難続きである。実際の新幹線が開業以来、重大事故というのが一度も無いだけについつい映画の中で爆破されそうになったり、脱線させられたりするのであろう。重大事故がないぶん、映画の中でも「なんでも止まる新幹線」と揶揄されるくらいだから、それなりに恨みはかっているのかも?(もちろん止まってくれるほうが事故るよかずーっとマシなのは当り前だけど、さ) 新幹線公害の告発レポートを通じて知り合った老婆の臨終を研修医・近藤正臣が看取った。死因は騒音と振動に因るものだと考えた近藤は、上司の医師・佐原健二に訴えるがとりあってもらえない。彼の病院にもまた新幹線の騒音と振動で精神と肉体を病んだ年寄りたちがどんどん運ばれてくる。肋骨が気味悪く浮き出た老人がのたうつ様子が延々と映し出される画面に、かぶるように耳をつんざく轟音をたてて新幹線が通りすぎる。 実に上手なサブリミナル効果である。観客は近藤と同様に新幹線(と国鉄)に対して、日頃のラッシュも思いだしつつ、すごーくイヤな気持ちになってくる。 近藤は恋人である薬剤師・関根恵子に頼んでニトログリセリンをちょろまかし、爆弾に改造して国鉄(当時)に向けた警告状とともに新幹線のトイレに沈めた。 で、ここんところがまた、エグイ。沈めた、まではイイんだけど、その後がスゴいわけよ。そのなんだね、黄金の液体にだねえ、ゴム手袋をつけた職員が手をつっこんで、かき混ぜるんだねえ、これが。トイレットペーパーとかもプカプカ浮いててさあ、ちゃぷちゃぷ音しちゃったりして。なんかもう吐きそうって感じ。 なんだか新幹線(と国鉄)ってサイテーという気持ちになってくるわけよ、気持ち悪くってさ。 科学技術の粋を集めたかに見えた新幹線であるが、東京オリンピックを目標にした突貫工事が仇となり、騒音対策がなおざりになっている事を指摘した警告状には、さらなる妨害工作の予告が記されていた。警告状が冗談でもいたずらでもない事を確信した警察庁はただちに担当者を任命した。 鳴り物入りで決まった担当者は、警察庁の長官・小沢栄太郎の秘蔵っ子、科学捜査官・田宮二郎。彼は明晰な頭脳でもって、信頼のおけるベテラン警察関係者の面々、この中に犯人がいないのが残念なくらいのクセ者、井川比左志、渥美国泰、小池朝雄、勝部演之、近藤洋介らを従えて、犯人逮捕を目指すのだ。田宮二郎はその素晴しい勘、本人は賭けだと言っているが、でもってビシバシと犯人の特徴を、まるで超能力者のように言い当てるのだ。すごいぞ田宮!カッコイイぞ二郎! 犯人の潜伏先が割り出され身元がマスコミで報道され始めた。飲み屋の女・梶芽衣子と知り合った近藤は、新幹線の安全対策を巧みに利用して次々と予告を実現する。自信過剰気味の近藤は逃走中にもかかわらず国鉄総裁・山村聡の自宅を訪問し新幹線公害補償と対策を直談判。翌日、二人の会話を録音したテープが近藤本人によってテレビ局に持ち込まれた。放送中止の要請を局長・高橋昌也に拒否され、マスコミの記者・神山繁、成瀬昌彦らの追及に焦る警察をしり目に近藤が新幹線をマヒさせると予告した日が近づく。 田宮二郎は、国鉄の広報担当・加藤和夫や平田昭彦(様)から、予告当日、国労と動労の組合員が新幹線への乗車拒否を要求していることを知る。「新幹線は日本国の動脈、すでに国鉄のものではない!」という小沢栄太郎の厳命もあり、なんとか当日の運行だけは確保したが、なんとしても妨害工作は事前に食い止めねばならない。 近藤は実家から持ち出したブルトーザを線路に落下させて新幹線を止めようとする。関根恵子をともなって現場へ駆けつけた田宮二郎に突進するブルトーザ。秋葉原で無線部品屋のオヤジ・広瀬正一から買った改造ラジコン操縦であと一息ということまでブルを走らせたが、馬鹿な県警のパシリに業を煮やした田宮二郎のヒラメキで、間一髪、ブルのキーが引き抜かれ、計画は失敗に終わり近藤は逮捕されたのだった。 梶芽衣子が出てきたとたんに画面がゲバ棒臭くなるのだが、近藤正臣が情念の薄い芝居をするのでイメージは引きずられない。ここんとこが山本圭(「新幹線大爆破」参照)とは大違いだね、比較するのもなんだけどさ。 原作でしっかりとウラをとってあるから、新幹線を止めるためのテクニックの解説は実にリアル。良い子はマネしちゃ駄目だぞ!新幹線をコケさせる映画に国鉄が非協力的なのはむべなるかな、であるが、今回は「脱線、脱輪する新幹線」と「畑の真ん中で止まっちゃう新幹線」が登場する。ここは見てのお楽しみだね、制作スタッフの労作です。 しかし天ぷら油で新幹線が止まるとはねえ、こりゃ驚き。鬼より怖い(当時)国労と動労に遠慮したのか、映画の中ではこの両者、なかなか物わかりが良く、かつ国鉄総裁なんて度胸座っててまるで大人物である。山村聡をもってきた、というあたりでそのへんのヨイショは明白ね。 この映画で最もリアリティが無かったように見えるのは田宮二郎のプロファイリング捜査官。ですが、その根拠の希薄な、かつ、自信満々の発言の数々は田宮二郎だからこそ許せる代物。インテリの田宮二郎が「警察には優秀な者とボンヤリした者がいる」とか「犯人の事ばかり考えているから他人のような気がしない」と取り逃がした直後であるにもかかわらず余裕綽々の笑顔で言われてしまうと、なんだかとっても納得しちゃう。リアリティはないが説得力がある、の見本。同じ台詞をたとえば宇津井健が言ったとしよう、どうだい?一発や二発くらい、はり倒してやりたくなるだろう?(オイ、オイ) ラスト、止まったブルトーザの目前を、さらに爆音に近いような騒音をたてて通りすぎる新幹線がこれでもかとクドイばかりに映る。沿線住民のセミドキュメンタリー風のインタビューで声をかきけす新幹線といい、この映画の悪役は完璧に新幹線そのものだ。そしてその向こう側にある国鉄。 新幹線公害、そんな言葉はもう忘れられてしまったのだろうか。イヤ、言葉だけでなく公害そのものももやは解消されたのだろうか。この映画が気楽に放送される時代は、まあ当面来ないかもしれないなあと思うのだが、さて、いかがなものか。 (1999年06月01日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16