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天守物語


■公開:1995年
■制作:松竹
■監督:坂東玉三郎
■助監:
■脚本:
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:坂東玉三郎
■寸評:


 歌舞伎だけでなく、舞台というのは客席と板の上に暗黙の約束事が取り交わされている。だからこそ、男が女になれるのである。しかし映画というのは写真であるから見えるものがすべて、生々しくなってしまう。玉三郎は生身では感動させられるが写真になるとすべてがうそ臭く見えてしまう。

 播磨守・隆大介の城の天守閣に住んでいる魔物の富姫・坂東玉三郎のところへ猪苗代の亀姫・宮沢りえが遊びに来る。猪苗代の城主は播磨守の兄弟。亀姫は手土産にと、この城主の生首を抱えて来る。もちろん「ごちそう」として、である。亀姫の従者の婆・坂東玉三郎(二役)がしたたりおちた血を舐めると播磨守とうり二つの形相となったので、富姫は大喜び。

 小心で強欲な播磨の鷹狩りを雨で邪魔してご機嫌の富姫は、亀姫へのお返しに播磨が大切にしていた白い羽の鷹を妖力で天守閣に呼び込んで捕えて持たせた。

 鷹を失った責任を取らされた若侍の図書之介・宍戸開が、誰も上がろうとしなかった天守閣へ来る。魔物の領域に立ち入った図書之介は、富姫に一目惚れする。鷹を返せない代わりに、天守閣に魔物が住んでいる証拠を見せるため、富姫は播磨の家の家宝を蔵からたやすく盗みだし図書之介に持たせる。

 これを見た播磨は逆上し図書之介を断罪しようとする。命からがら天守閣へ逃げた図書之介を守ろうとした富姫は、獅子頭を使って追っ手を遠ざけようとするが、獅子頭の両目を潰されたため、図書之介ともども盲目となる。しかし富姫が隠し持っていた猪苗代の城主の生首を播磨だと勘違いした追っ手は胆を潰して退散した。

 そこへ獅子頭の作者・島田正吾が現われ獅子の両目を修理すると二人の目は元どおりになった。

 台詞回しが全部、歌舞伎風なので慣れないとかなり辛いものがあります。意味は分からなくても節回しが快いもんですから睡魔の方が勝ちそうになるわけですね。おまけに、多分に舞台中継的なので画面が単調だし、うるさくないのは良いのですが劇伴も最小限に抑えられているので、さらに眠たい映画です。

 夜叉ヶ池の姫とマブダチの富姫、一人二役?という欄外のエピソードとともに、魔物の世界と言えども下界のOL軍団のように強固なネットワークを誇るというのは共通しております。怖いですからねえ、女の結束は。

 富姫の素性は、どこぞの大名の奥方が辱められそうになって自害して、たまたま側にあった獅子頭にたたりを依頼したため、霊験あらたかな獅子頭の力で魔物になったんだそうです。怖いですからねえ、女の恨みは。

 玉三郎は男性ですから、豪勢な衣装での動きはさすがはプロだなあと思うと同時に、宮沢りえがとてつもなく幼女っぽく見えるのが難ですね。実年齢ではそれ相応ですけれども、やっぱ男のほうが体力ありますからねえ。こうして本物の女性と同じ様な格好をして出てくるとそれが良く分かります。

 立ったり座ったりっていうのだけでも、一定のペースですごくゆっくり動けるんですよね、玉三郎は。あんな重たい格好でゆっくりと中腰で均一に動けるのはよく訓練された男の人ならでは、ですね。比較するとどうしても宮沢りえのほうが「ヨチヨチ」という感じになっちゃう。男しか出てこない歌舞伎の舞台じゃ比較できないですから、そういうところに注目するのも面白いですよ。

 しかし実際いたらすごくデカい女ですよね、富姫は。宮沢りえと並んでも宍戸開と並んでも、全然見劣しません。さすが「もののけ姫」!

 歌舞伎役者が歌舞伎やれば上手いのは当り前。ただしそれが映画として面白いかどうかは別問題なので、映画的なものさえ期待しなければとても奇麗な映画でよろしいんじゃないですかね。

1999年05月24日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16