丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなる |
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■公開:1989年 |
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丹波哲郎さんの人望はとても厚い。その人柄で多少の無理難題はクリアできてしまう、日本の映画界では稀有な人材である。演技はともかく。 京都で死後の世界(副題・死んだらどうなる)に関する講演会が開催される。講演者は言わずとしれた丹波哲郎。その会場へ向かっていた女性学者・エブリン・ブリンクリーと同僚の学者・丹波義隆が乗っていたベンツが、路線バスと衝突してもろとも谷底へ転落する。 バスの乗客多数と一緒に死んだ義隆は愛犬のゴン・ヘネシー号(本名)を連れて霊界へ行く。そこにはバスの乗客であった、ニューファミリーな一家・速水亮、五十嵐まゆみ、詐欺師・前田吟、代議士・春川ますみ、その秘書・森嗣晃司、子供をかばって死んだ片足の悪い設計士・神山繁らも来ていた。 新興宗教ライクな衣装を着た若い男女が死者たちを選別する。義隆は「マル特」という、まるでスーパーの特売品のような呼ばれ方をされる。生きていたときとまるで変わらない彼等の前に、突然、額に「レインボーマン」の太陽マークみたいのをつけてギリシア神話のような衣装をまとった巨大な若山富三郎が出現する。 かなり恥ずかしい格好の、若山巨人の正体は地球担いだアトラスか?はたまた「だいだらぼっち」か?それとも「大魔神」か? 天国かと思ったら地獄だったのか?と最初は若山のことをエンマ様だと勘違いした死者たちであったが、意外とおだやかな表情(でも声はドスがきいている)なのでちょっと安心。若山富三郎は霊界の案内人の親分みたいなものらしく、自分たちが死んだことを理解しない彼等に、祖先との再会を果たしてやることで自覚を促すのであった。 義隆は女性学者の後を追ってプードル犬のゴンとともに、桃源郷のような世界をさまよったりしながらランクアップを続ける。しかし気になるのは彼に与えられた「マル特」という称号だ。 人命救助によって死んだ神山は生前のハゲあがった額にフサフサと髪が生えた上に足も治っており、おまけに他の死者とはちがってすでに大天使とかなんとかいうハイなランクにおさまっていた。で、この大天使と呼ばれる面々を紹介すると、まず最初に出てくる千葉真一は白髪ではなくイカす茶髪、それに(千葉真一と、まだ仲睦まじかった)野際陽子は三つ編みのロングヘア、下界でどんな善行を積んだのかさっぱり理解できない渡瀬恒彦ら、なのだった。 一体、どういう人の集まりなのであろう?東映東京のOB会か?神山さんは新劇だよなあ、けど、丹波さんとは通訳経験あり、で共通項があるな、関係ないか。でも親方らしき人は東映京都の暴れん坊将軍だからなあ。で、なんで若山富三郎が友情出演なの?丹波哲郎とは下戸仲間だったりして?などと余計な想像ばかりしてしまうのだが、そういう事でも考えていないと、あまりにも展開が観光案内風なので寝ちゃいそうになるわけよ。 ニューファミリーが神様にオネガイ?すると突然、豪勢な(だけど趣味の悪そうな)家がポヨヨヨ〜ンと現われたり、おまえら「魔法使いサリー」かい!とかそういうツッコミが楽しめるのは最初のうちだけで、画面にギル(義隆)さんしか出てこなくなると、いくら山が二つに割れたり、巨大な落石があったりという特撮スペクタクルになっても全然、かったるくて眠いんだよね、実際は。 フサフサの大天使、神山繁の説明により、義隆には霊界を一通り体験した後に蘇生して、霊界の宣伝マンになる役目が課せられていたことが判明。親子二代にわたりご苦労さんなことであるが、「マル特」の意味はそれであった。しかし、主人を地獄から助けたり、励ましたりしてくれた愛犬ゴンは途中でお別れ。 霊界と現世を繋ぐ橋の上での別離のシーン。プードル犬がイキナリ人語を解して「ボクはここでお別れなんだ(子供の声)」と言うシーンは本作品の最初にして最後のヤマ場と断言しましょう。そして生き返った義隆の傍らで冷たくなっているプードルに浴びせられる「あ、死んでらあ」という救助隊の無神経な一言。 ひとっかけらも泣けず、感動できず、SFだかなんだかよく分からない、中途半端に大笑いという全編で、唯一の純真無垢なゴンこそ本作品の真の主役である。しかし、プードルに「ゴン」という名前をつけるだけでもどうかと思うが、本名の「ヘネシー号」(ビリングで堂々の一枚看板クラス)というのも凄いセンスだな。 さてそんなこんなで霊界と言うのは現世の写絵であるから、現世での生活をちゃんとしていなれば霊界でもそれ相当のところへしか行けませんよ、というのが丹波先生の教えである。真っ当である、真理である、御説ごもっとも、である。 映画はヘンだが言ってることは正しくてシンプル、ここが丹波先生の偉いところである。そのヘンさとのギャップもまた味である。カッコつけたがりの中途半端な説教好きの芸能人はただちに見習いなさいね。 さて、丹波哲郎がワンマンなのは今に始まった事ではないのであまり気にならないのだが、大抵の場合、感情移入が激しすぎて客をおいてけぼりにするその手合いの映画の中では、主張がブッ飛んでいる分だけ、あつかましい感じがしなくて、素直に楽しめる。 最近、とみに親父に似てきた義隆であるが、長身で都会的だった初代にはまだまだ、というか全然及ばないのが辛いところだ。やはり霊界の宣伝マンもきっと継ぐのは無理だと思うぞ、って現実と混同してどうするんだ!でも、人柄は良さそうだけど才能のなさそうなギルさんだったら、ついうっかり二代目を襲名してしまうかも。 目も眩むばかりの天国がマットペインティングで、荒涼とした地獄はほぼオールロケってのがいい。やはりこの世は地獄なのねえ、いや違った「精神修養」の場なのだねえ。で、丹波さんの主催する俳優養成所が「丹波道場」こりゃ一本取られましたな、ってことでおあとがよろしいようで。 (1999年06月01日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16