催眠 |
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■公開:1999年 |
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「緑の猿が追ってくる」という言葉を残して、次々と何の関係もない市井の人々が不可思議な死に方をする。ある者は、何の前ぶれもなく分厚いガラス窓を突き破り、ある者は自分の身体能力の限界以上の力を出して全身骨折、また、ある男・堀部圭亮は結婚披露パーティーの最中に自分の首をネクタイで絞めて死ぬ。 東京の所轄署管内で起こったこれらの事件にもはや「偶然」ということはありえないと考えた定年間近の刑事、桜井・宇津井健は、若手の女性刑事、三井・渡辺由紀をともなって捜査を開始する。心理研究所のカウンセラー、嵯峨・稲垣吾郎は事件の犠牲者が何らかの暗示にかけられていたのではないかと推理するが、署長の朝生・中丸忠雄や桜井の同僚の刑事、牟田・大杉蓮は全然信用しない。 テレビで催眠術のパフォーマンスをしていた催眠術師、実相寺・升毅が連れ歩いている少女、入絵由香・菅野美穂を見た嵯峨は、彼女が多重人格症に罹っている事を知り彼女の治療を試みるが、実相寺は嵯峨に催眠をかけて彼女を連れ去る。 嵯峨が入絵由香の多重な人格に振り回されている間に、死体の山はどんどん増え続ける。実相寺も死に、事件の手がかりを失ったかに見えた桜井であったが、入絵由香が入院していた精神病院を訪れた事から、意外な真相が明かになる。 、、、これ以上は観てのお楽しみっつうことで、イジワルだけど勘弁しなさいね。ネタバレしちゃうと全然、面白くないんだもん。仕掛けを知っている「おばけ屋敷」に何遍も入る気しないでしょ?。とにかく見所としては、その、なんだね、監察医・佐戸井けん太の言う通り「難しい死に方」をしている死体の造形なんでしょうね、きっと。 その割にはあまりハッキリ画面に出てこないんだよね。最近、暴力的かつ残酷なシーンはバカスカ切られるらしいから。造形スタッフ、お気の毒。 子供の頃の心の傷や脅迫観念がすべてのトリガーなので、観てるほうもケツのあたりがムズムズしてくるはず。心に傷を負わないで成長した奴なんている?小さい頃に解体したトンボや、ロケット花火でこっぱみじんにしたカエルのおかげで「命を大切に」を知った大人って多いはず。そこんところで迷惑かけた相手がトンボやカエルじゃなくて人間だとこれまた罪の意識は大きいよね。 誰だって他人や自分を傷つけながら大人になるんだけど、こう、弱っているときにそういうの思い出すのって辛いわけで、この映画(原作も)はそういう誰でも共感できるスネの傷を挑発する。だから上手いな、と思う。 「ドラえもん」の小道具に「思い出しトンカチ(名称はいいかげん)」ってのが出てくる。人間は一度、記憶したことは全部覚えているんだけど、普段、必要としない記憶は、まるで引き出しの中にしまったかのように、その存在を忘れてしまう。そして挙句には引き出しに入れたことすら忘れてしまう。で、このトンカチで頭を叩くと、その引き出しがポーンと開いて思い出すという、すげー便利なの。 催眠はそのトンカチみたいなモンなのね、ある意味では。その、消せない過去に責任を感じている懺悔の心を増幅させることで人を「死にたく」させちゃうのが「緑の猿」なのよね。してみれば清廉潔白な人のほうがそういう「攻撃」には弱いんだろうね、きっと、責任感が強い人とか生真面目な人とか。 入絵由香、嵯峨、実相寺、桜井、三井、そして牟田、と主要な人物はほぼ全員、なんらかの「攻撃」を受けて傷つく。みんな各々に真面目な人たちだったということなんだろうね、きっと。 ってことは、入絵由香にまともに催眠食らったくせに、現場放棄してさっさと逃げ出してセーフだった責任感ゼロ!ってかんじの中丸忠雄(が演じた朝生署長)ってかなーり不真面目?市民の生命財産を守る警察の責任者のくせに、催眠にかかってなくてもすぐブチキレるし、犠牲者がてんこ盛りに出てるのに「捜査予算のかけすぎ」を声高に叫ぶくらいの実におとなげないキャラクター。「ゴリラ7」のシャイロック・草鹿さんが制服着てたとしか思えないような笑えるほどの俗物さね(分かる人、少ないけど)。 人間はある程度、いいかげんで、あつかましくて、俗物的で、不真面目なほうが緑の猿に追いかけ回されて死ななくて済むからイイんだよ、っていうのが案外、作者の本当のメッセージだったりして、ね。 (1999年06月17日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-06-10