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豪姫


■公開:1992年
■制作:松竹、勅使河原宏プロダクション
■監督:勅使河原宏
■助監:
■脚本:勅使河原宏
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:仲代達矢
■寸評:


 芸術性の高い映画監督、じゃなくて、芸術家が監督した映画である。

 千利休の死後、秀吉のもとで茶事を指導した古田織部・仲代達矢は、秀吉の屋敷で突然、矢を射かけられる。犯人は養女である豪姫・宮沢りえ。豪姫は男まさりの姫であったが芸術にも才能を発揮する不思議な少女だった。

 ある日、秀吉の機嫌をとろうとした京都の所司代が利休の木造の足元へ切腹した利休の首をさらすという事件が起こる。利休の妾、お吟が自害した日、屈強な若者を連れた豪姫がその首を奪い去った。若者は織部が面倒を見ていた下人のウス・永澤俊矢

 ウスは織部の屋敷から出奔し豪姫の屋敷に立ち寄った。豪姫と結ばれたウスは一人で山奥へ逃げるが、途中、秀吉の配下に待ち伏せにあう。追ってきた織部の目前で重傷を負ったウスを助けたのは豪姫だった。雪の中、体に巻いていた晒をひきちぎって傷の手当をする豪姫。

 行き倒れになっていたウスは山中で薄汚ないじじい・三國連太郎に助けられる。静かな隠遁生活を送っていた老人から自然の中で生きる術を学んだウスは豪姫への想いを募らせながら一人で山にこもる。

 秀吉が死に、関ヶ原の合戦が起こる。老人の正体は家康に疎まれたキリシタン大名、高山右近・松本幸四郎の家臣であった。武将としての生活に絶望していた右近に天下を取る気がないと知った老人は、最後にころびキリシタンの遊女を抱いて腹上死した。

 時が流れ、家康の天下となった。豊臣家が取り潰されたため生家に戻された豪姫は、夫と子供を八丈島に流されて一人で暮らしていた。すでに四十を過ぎていた豪姫の前にウスが現われる。

 家康への復讐を誓った豪姫は織部や高山右近を呼んで盛大な茶会を開催すると言い出す。屋敷の下女の密告によって右近は地方へ流され、右近の縁者であった古田織部は家康から閉門を命じられる。自分の死を悟った織部は屋敷に潜入したウスに別れを告げ、家康の使者と斬りあって死んだ。そして豪姫はウスと一緒に生きて行こうと思うのだった。

 衣装もゴージャス、セットもゴージャス、時間もたっぷり2時間半の超大作!な本作品を観終わって印象に残ったことと言えば、森田富士郎のキャメラと、宮沢りえの爆発ヘアスタイルくらいなモンでしたね。

 宮沢りえの魅力って何だった(過去形)んでしょうか。この映画を見ているとそれは「天然美」みたいなところなのかなあと思います。奇麗な女優さんだった(過去形)でしょ?それは認めますけども「天然」ってことはひっくりかえすと「訓練されてない」という事ですわね。声も、立ち居振る舞いも、目線も、何もかも全然ね、演技になってないんですよ。

 良いとか悪いとかそういう事じゃなくて、そのへん歩いてたネーちゃん連れてきてポッと出した、みたいな感じ。客が期待している商業映画における役者の芝居の約束事みたいなものが滅茶苦茶なんです。だから、ってのもヘンですけど、喋らない、動かない時の宮沢りえは実に絵になるんです。

 でも「絵」なんですよ、彼女。動いたり喋ったりすると、、なんですわ。よく仲代達矢が怒り出さなかったなあと感心しちゃいました。

 で、それは宮沢りえだけの責任でもなくて、この映画全体がそうなってる。状況を記録する「絵」としては息をのむほど美しいんだけど、それ以上何も感じないんです。

 「利休」で死んだと思ってたらこんなところで生きてたの?な三國連太郎が出てきた時は笑ってしまいましたが、高貴な茶人よかこっちの、ヒルとかイモリとか喰ってそうな爺さんのほうがお似合い、というのは失礼ですが、ノリが良かったと思います。

 この映画から受ける印象はずばり、記録映画。芝居よりも織部焼きのクローズアップのほうがよっぽど作り手の思い入れが強いような気がしますね、てか十八番だし。これを商業映画だと思わず、日本の四季が堪能できる「ドキュメンタリー」だと思えば、かなり上質な作品になってると思います。

1999年04月03日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16