五十万人の遺産 |
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■公開:1963年 |
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仲代達矢・31歳(当時)、三橋達也・40歳(当時) 第二次世界対戦後、民間企業の庶務課長になっていた陸軍少佐・三船敏郎は、貿易商社のオーナー・仲代達矢に呼び出され、大戦末期にフィリッピンで行方不明になった丸福金貨の所在を尋ねられる。三船が山下将軍の部隊で主計局長を務めていたからであった。 丸福金貨というのは大戦中に国民が供出した金を鋳造して作った戦争資金。仲代は協力を渋る三船を誘拐し、元海軍中尉である仲代の弟・三橋達也と、ちんぴら・山崎努、機関士・田島義文、通信士・堺左千夫とともにフィリッピンへ行き丸福金貨を持ちかえるように命令した。断われば三船の娘・星由里子に危害を加えると言う。 偽装した漁船に装置や武器を積み込んでフィリッピンに密入国した一行。途中、怪しげな日系人・中村哲が近づいて来たが、彼は現地の軍の関係者に顔が利くらしく検問にひっかかった三船たちを巧みに逃がしてくれた。 激戦地での反日感情は根強く、原住民を警戒していた三船は偶然、土人になりきった生き残り兵・土屋嘉男に出会う。原住民の娘・浜美枝と無理やり結婚させられた土屋は、なんとしても日本へ帰りたいと言う。三船が埋めた金貨はすでに土屋が発見し別の場所へ隠していた。金貨を手に入れた堺と田島は、山崎と喧嘩をして負傷した三橋を見捨てて姿を消した。 三船は、現地で死んだ五十万人の日本兵遺族のために金貨を使いたいと彼等を説得する。三橋が死んだ。三船たちの帰国を手助けするために部落を密かに脱出しようとした土屋は浜美枝に殺される。 やっと海岸線にたどり着いた彼等を出迎えたのは、山下財宝を狙って仲代達矢をそそのかした某国諜報機関の外人とその手先であった中村哲。激しい銃撃の中、田島、堺、山崎が倒れ、山崎を助けようとした三船も死んだ。秘密を知っている仲代達矢も始末した中村哲の手によって金貨は某国へ持ち出されてしまい秘宝の行方は永遠の謎となった。 自分で興したプロダクションの自主制作第一作。たぶん、きっと、おそらくは、スターの独立を面白くないと思っていた東宝(正確には宝塚映画)に協力を仰いだため、バカ高いマージンのおかげで東宝専属のスター女優を長時間拘束できず(星由里子はほんの数十秒、浜美枝は台詞無し)、仲代達矢を添えもの出演しかさせられなかったというクヤしい状況がうかがい知れてしまう、というのは客にとってはツライもの。 戦闘シーン一切抜き。過去の他の監督さんの作品のフィルムの焼き直しなんかもってのほかだったのでしょうね。重要なキーワードとなる悲惨な戦争体験を台詞でしか説明できないというのは三船敏郎としてはかなり難しいわけです。だって、少なくとも客がイメージしている三船敏郎って元祖・肉体派なんですからね。 本作品の見所として「俳優・三船」には見るべきものがとても少ないのです。 そのかわり、と言ってはなんですが、「天国と地獄」で共演した山崎努が、彼の作品のキャラクターの魅力をそのまんま引っぱりつつ、しかも、今回は人間の無念の死を目撃して改心すると言うフォロー的な役どころを演じているので、演出と二足のわらじで緊張しきりの三船を乗り越えた実質上の主役となって活躍します。 三船敏郎が監督として手本にしたのはきっと黒澤監督でしょう。ヒューマニズムとエンタテイメント性の融合を目指しているんだろうなあ、という志だけはヒシヒシと感じられるのですが、黒澤監督が本能的に持っていた「客のことを考える」という視点は残念ながら遠く一万光年くらい及びませんでした。 客が見たいのは「怒る三船」であり「強い三船」です(ついでに「お馬鹿な三船」もアリ)。堺左千夫に連行される三船、三橋達也に無抵抗のまま殴られる三船、今までカメラワークでごまかしてきた小柄な三船、などなどについては、客は見たくなかったのです。 他人の「言いたいこと」のほぼ9割は、本人以外の人間にとってはあまり価値が無いか、または、つまらない場合が多いもの。本作品もまさにその定理があてはまるわけで、本作品はおそらく今まで一度も映画作品の中で自我を主張することが無かったと想像できる三船敏郎が「言いたかったこと」をコテコテに盛り込んだ映画なので、客ウケが悪いのは当り前なんですね。 見方を変えれば、本作品は「三船敏郎が映画で言いたかったこと、客に伝えたかったこと、知って欲しかったこと」を観客が知ることができる数少ない(ひょっとしたらこれっきり?の)作品なわけです。映画としては失敗でも、三船フリークとしては貴重な作品なのです。 あ、それからね、三橋達也さんね、いくらベビーフェイスだからって9歳年少の仲代達矢の「弟」っていう役どころはね、たとえおてんとう様が許しても、私は許しませんからね!。 (1999年05月16日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16