戒厳令 |
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■公開:1973年 |
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ある青年・辻萬長が極右の思想に駆られ、白昼の路上で実業家を惨殺し、自殺した。 右翼の思想家、北一輝・三國連太郎は「日本改造法案」という思想書を出版する。北の思想に刺激された海軍の青年将校たちは、五一五事件を起こすが鎮圧される。北はクーデターの成功を期待しつつも、結果的に失敗したと分かると直接的な関与を否定する。 海軍に先を超された陸軍将校達は新たなクーデターを計画する。北の思想に心酔している下士官が上官の命令に従い発電所爆破に赴くが怖じ気づいて失敗する。自信喪失になった彼は北の家に居候する。やがて決行された陸軍のクーデターは二二六事件と呼ばれた。事件が思わぬほど重大になるにつれ北は戸惑い、および腰になる。 クーデターの精神的な支柱として満足しかかっていた北は、軍の上層部や世論が彼等を反乱軍と処した事に絶望。自分の思想に勝手にかぶれた連中が起こした事件だと主張した北であったが、たまたま実行部隊の鼓舞を頼まれた電話の会話の内容が憲兵隊へ密告されたため影の指導者として北は逮捕される。 密告をしたのは北に付いていた下士官だった。彼は「北が自分を怪しまなかったからスパイになった」と告白した。憲兵に「天皇陛下万歳を叫ぶのか」と質問された北は「私は死ぬ前に冗談は言わない」と言い残し処刑された。 国家に挑戦しつつ、天皇への畏敬の念は持ち合わせ、自分が罰っせられること(究極は死)に対して常に怯えている。自殺した青年の返り血の付いた服を小道具にして自分の思想の影響力をチラつかせ、企業家から金を脅し取るという暴力団まがいの行いもする。そんな北一輝という人物の多重構造的な人格が、怪異的にモノクロームの画面に描き出されます。 戒厳令というのは軍隊による統制ですね。この映画では、北一輝は自分の思想でもって戒厳令を敷くことを夢見ます。思想家の目指すところは世間に認めて貰うこと、その行き着く先は権力である、というわけでしょうかね。 自分の思想によって世間が踊ることは望ましいが、責任は取りたくない。まるで今(も昔も)のマスコミみたいですこと、おーっほっほっほ。 さて、吉田喜重と言えば「美の美」(はい、ここで三十代後半以上の人は頷いてください)です。その地の底からわき上がってくるような独特の声質で「ヴェ(「ベ」ではなく「ヴェ」)ネチアの美の原点は」などと発言されると子供心に下手な怪談話よかよっぽど能髄を刺激されたものです。私は「自分はおしゃれだと思っている男の大人が好んで着るマオカラー」というファッションスタイルをこの人から学びました。それ以来、私はマオカラーを着ているの男の大人がなんとなく嫌いになりました。だってうさん臭いんだもん。 うさん臭い、と言えば三國連太郎です。今では「釣りバカ」のスーさんしか知らない人が多いかも分かりませんがこの人こそ日本映画最強の二枚目怪優です。ニコヨンから大物政治家まで、極右から極左まで、仏様から人でなしまで、とにかくなんでも演ります。出番の長さにかかわらず、出演した映画に片っ端から狂気というウイルスを植え付けるのが三國連太郎です。 そういやあこの映画に出てくる北一輝も大陸帰りだから中国服(マオカラー)着てるんですよね、偶然?。 この映画では実は北一輝はあくまでも脇方にすぎません。本当の主役というか結果的に狂言回しとなるのは病身の妻を抱えた下士官です。誰でも身に覚えがあるのでは?「誰かの役に立ちたい」から始まって「自分を認めて欲しい」に行き着き「自分を無視した奴は許さない」へ発展するという、人間の情念における三段階発展経験。 馬鹿ですねえ、怖いですねえ、戦時中の人間は、いや、まったく。 (1999年04月02日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16