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わが命の唄 艶歌(えんか)


■公開:1968年
■制作:日活
■監督:舛田利雄
■助監:
■脚本:池上金男
■原作:五木寛之
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:渡哲也
■寸評:非艶歌な日本人。


 化粧品会社の宣伝部に勤務していた津上・渡哲也は同僚のイラストレーター・筑紫マリに求婚した。その夜、筑紫は一人で自殺。残された津上は上司の黒沢・佐藤慶から広告代理店への転職を勧められる。

 津上は音楽の才能があった。コマシャールソングでめきめきと手腕を発揮した津上はディレクターに出世する。黒沢が大手のレコード会社に移った。誘われた津上は一瞬、躊躇したが、嫌いな演歌に反発し新しい音楽の創造を夢見て黒沢の後を追う。

 そこには艶歌の竜と呼ばれるカリスマ的存在の名ディレクター・芦田伸介がいた。黒沢は竜と新人歌手のレコード売り上げを競う。負けたほうが会社を去らねばならない。竜が見つけてきたのは前科者の父をもつ貧乏な娘・水前寺清子。黒沢は津上とともにルックスの良い男性歌手・団次郎(作者注:本名は村田英男、あってるか字?)を売り出すことにした。

 「艶歌」を歌う水前寺は実力はあったがどうもいま一つパッとしなかった。片や黒沢は団次郎をメディアに売り込み、レコードの売り上げは急激に伸びた。地道なキャンペーンを続けていた水前寺はようやく真価を認められ、後半一気に追い上げついに団次郎の売り上げを追い抜いた。

 黒沢は水前寺の家庭事情をスキャンダルとしてリークしイメージダウンを狙った。さらに彼は、公共放送へ働きかけ「俗悪歌謡曲の追放運動」を仕掛ける。標的となった「艶歌」は泣く子もだまるPTAの猛反発を受けて発売中止になる。勝負は黒沢が勝ち、竜はレコード会社を去って行った。

 「演歌(艶歌)な人」とはどういう人か?辞書によれば艶歌は「浪速節の気味を取り入れた流行歌」とあるから「浪速節な人」のことを指す、と考えられる。

 では、浪花節な人、とは何か?

 辞書を引く。すると「義理人情を主として考える、分かりやすく古風な言動をする人」とある。

 この映画の中で一番笑ったのが、芦田追放に抗議するために会社へおしかけた町の流しを前に佐藤慶が演説をぶつシーン。言葉の端々にやたらと和製英語(マーケティング、サムシングエルス、などのカタカナ語)が入るもんだからそれに怒った親父が「日本語で喋れ!」と言い返す。

 どうも和製英語には心がこもっていないな、って思いません?。そも、日本人にちゃんと理解してもらおうと思ったら日本語でしゃべるべき。聞いてるほうも見栄張って適当にあいずちなんか打っちゃイカン。言ってるほうだってどーせ堤灯記事専門のオヤジ向け週間誌あたりからの付け焼き刃に決まってるんだから。

 多くの人にとって分かりにくい和製英語を多用する人は艶歌な人ではないのよね。

 艶歌な人は「貧乏」である。戦争直後の日本人はみんな演歌な人だった、とこの映画は言う。今の日本人は金はなくとも「貧乏」を実感している人は少ない。現代の「貧乏」の多くは(そうでない人もたくさんいるが)欲しいものが手に入らないという「貧乏」である。

 貧乏でない人は艶歌な人ではない。

 非艶歌な人、それが今の日本であり日本人である、と、この映画は言う。

 日本語を正しく解さず、よって喋れず、歌えず。貧乏を実感したことがない、従って本当の貧乏が分からないから本当の金持ちがどうあるべきかも理解し得ない。 艶歌を知れば知るほど現代の日本人が分かる、というこの映画の主張はとても正しい。

1999年06月25日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16