ノンちゃん雲に乗る |
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■公開:1955年 |
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体が弱いため東京から田舎に超してきたノンちゃん・鰐淵晴子は、ノンちゃんに内緒で東京のおばあちゃんのところへ出かけたお母さん・原節子とお兄ちゃんにおいてけぼりにされて号泣。空に浮かぶ雲のように東京へ飛んで行きたいなあと、木の枝にまたがって飛ぶまねをしていたノンちゃんは過って池に落ちてしまう。 いつのまにか雲の上にいたノンちゃんは白髪のおじいさん・徳川夢声と出会う。おじいさんは、常日頃からノンちゃんと仲の悪いデブも呼び寄せ、三人で仲良くおしゃべりをする。ノンちゃんが、デブがしょっちゅう自分をいじめること、お兄ちゃんが乱暴なこと、お父さん・藤田進とお母さんが大好きなことを話すと、おじいさんはとても楽しそうに聞いてくれた。 雲の上にはほかにもたくさんの「哀しい心」を持った人がいて、おじいさんはその人達を大きな「くまで」で拾い上げお話しを聞いてあげるのが仕事なのだと言う。ノンちゃんもその一人。雲の上の子供達と一緒に遊んだ後、ノンちゃんは家に帰って行った。 気が付くとノンちゃんは布団に寝かされていた。池に落ちたノンちゃんを心配した飼い犬のエスが近所の人に知らせてくれたのだった。お母さんとお兄ちゃんとも会えたノンちゃんは元気になって学校へ行く。雲から戻って来たノンちゃんにとっては全てが新鮮で、デブもなんとなく優しくなったような気がする。ノンちゃんは世界中の人達のお話しを聞いて回っているおじいさんの事を懐かしく思い出していた。 小さい頃の記憶というのは曖昧ですねえ。小学生の時以来、つい最近見直すまで「ノンちゃんは寝ていて夢を見た」と思い込んでまして、まさか私の知らないうちに生死の境を彷徨っていたとはねえ。 これって臨死体験の映画なんですよね。 雲のような場所でふわふらしていたとか、先に死んだ人達の声が聞こえるとか、白髪のおじいさんとか、よく考えると丹波哲郎の「大霊界」っぽいですね。ちょっと比較対象例に難ありますけど。 「銀河鉄道の夜」のようにデブなガキ大将が実はノンちゃんを助けようとして死んでたらどうしようと思いましたが、どっこいセーフでした。つまり、寂しかったのはノンちゃんだけではなく、陽気な外見とは裏腹に肥満児でハゲのこの少年にもはかり知れぬ悩みがあったということですね。たぶん、容姿に関する問題だと思いますけども。 「寂しいのは君だけじゃないんだよ」と言う事ですね。いつもノンちゃんを厳しく指導するお兄ちゃんも、いざとなれば苛められているノンちゃんを助けてくれたりしますし、なんだかんだ色々苦労はあってもノンちゃん、美人なんだもん。おまけにヴァイオリン弾けるしバレエも踊れるし。 この映画からいろんな事が学びとれますね、例えば「デブ(はともかく)であれ美人であれ人間誰しも悩みはある」「子供はいつでも自己中心的である」「犬の尻尾は急所だから気を付けよう」「美人でやさしくておまけに色気まであるお母さんがいたらかなりうれしい」など。 お母さんが原節子はいいんですが、お父さんが藤田進というのはいかがなものでしょう、と思いましたが、冒頭イキナリ登場するノンちゃんの泣き方が「シクシク」という女の子らしさや「ギャーギャー」という子供らしさのまったく感じられない「ウオー!ウオー!」という男泣き状態の号泣だったので、この親子関係はとても説得力があったのでした。 この映画、今どきの親子のみなさんにはぜひ見ていただきたい。そして「きれいな日本語」をちゃんと聞いて記憶に残しておいて欲しいですね。きれいな日本語には、相手の立場を尊重する礼儀正しさがあります。たとえ親子でも兄弟でも。そういうの勉強しようと思ったら古い日本映画を見るに限りますね。 (1999年04月02日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16