「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


セクシー地帯(ライン)


■公開:1961年
■制作:新東宝
■監督:石井輝男
■助監:深町幸男
■脚本:石井輝男
■原作:
■撮影:
■音楽:
■美術:
■主演:三原葉子
■寸評:なんでいつもそんなトロいんだ、輝雄ちゃんったら!


 サラリーマンの吉岡・吉田輝雄は部長から預かった手帳をボインの女スリ・三原葉子にスラれてしまい、挙句にモタモタしていた彼はスリの共犯として逮捕されてしまう。部長に貰い下げてもらい事無きを得たかに思えた吉田であったが、急に大阪への左遷が決まる。吉田には恋人・三条魔子がいた。ところが三条はさる組織から派遣された商売女。部長ともラブアフェアな関係を持ち、関西のオヤジというパトロンとは援助交際という完璧な三股状態なのだった。

 しかし三条は実は吉田に本気で惚れていたので、部長に左遷をやめさせようとする。今までの関係を洗いざらいぶちまけると脅迫したのだった。そんなこととはつゆ知らず、純朴な吉田は三条のアパートに立ちよったが返事が無かったので落胆し、仕方無く、部長のところへ自分で謝りに出かける。

 三条はアパートですでに殺されていた。容疑者としてマークされた吉田は慌てふためく。偶然、三原と再会した吉田は彼女から部長の持っていた「クロッキークラブ」の会員証を返して貰う。好奇心とお色気が旺盛な三原葉子に励まされた吉田は、自分の無実を晴らすためにさっそく、調査を開始する。

 クロッキークラブに関係しているらしい喫茶店のウエートレス・池内淳子と知り合った吉田は、彼女の口から、件のクラブが売春組織であることを知る。三原葉子はモデルとしてクラブに潜入。しかし、吉田とともにクラブの秘密を探る途中で顔を知られた女の証言により、吉田ともどもボス・沖竜次、子分・杉山弘太郎らによって監禁されてしまう。

 三原がクラブの窓から投げたSOSの紙ヒコーキは、バタ屋の子供を介して馴染みの刑事・細川俊夫の手に渡っていた。なんとか監禁されていた地下室から逃げ出した二人の後を沖の手下が追う。あわや二人が撃たれそうになった時、警察がかけつけ一味は逮捕された。

 バタ屋の子供の紙ヒコーキがなかなか刑事の手に渡らない。そのヤキモキがお約束なんだけど、やっぱりヤキモキさせられちゃう。作り手の演出に分かってて「乗る」楽しさが気持ちイイ。色敵の沖竜次もワルなんだけどなんとなくオツムのネジが緩そうなところがカワイイし。

 上質な娯楽映画には作り込みが不可欠、そういうのがダサいって人には勧めないけれど、心地よい音楽に、イカス野郎とカワイイ女優がいてこそ「夢」が見られるものなのさ。

 クロッキーってのは分かりやすく言うと短時間で仕上げるデッサンのこと。美大生にとってはどうってことないヌードモデルだけど、これとストリッパーの区別がつかない野郎の皆さんが、堂々と猥褻物陳列を楽しもうってのがこの「クロッキークラブ」の趣旨なのだ。いたんだよねえ昔、某N大の芸術学部にはさあ「裸婦デッサンのときは呼んでくれよ」なんつう他学科(美術学科以外)のスケベヤローが。あ、男性モデルのときもいたような、、。

 「黄線地帯」ではセットだった迷宮的なカスバがここでは実際の浅草やら銀座の裏道。とにかくどんどん中へ入っていく。トロそうな吉田輝雄なんかマジで迷子になりそうで見ているほうはハラハラしどおし。繰り返し登場する迷路のシーン、それがこの映画の世界観をストレートに表現しているんだよね。上手いんだなあ、そこんところが。

 オープニングのジャズと外国雑誌のコラージュから始まって、血生臭ささや所帯臭さが全然無くて、まるでオシャレな外国の映画を観ているような気分にさせてくれる一品。

1999年06月25日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16